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 黒い灰が空に舞っている。……東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。作家高見順が、1945年8月16日付の「敗戦日記」にそう記している。45年8月15日の終戦前後、植民地も含めた日本の各地で、大量の公文書が燃やされた。東京・市ケ谷台(現防衛省)にあった陸軍省や参謀本部は、その象徴的場所だ。その地中から戦後50年以上を経て、焼却されたはずの文書が、焦げ痕がついた状態で発見された。

 その一つ。焼け残った部分からは「昭和19年3月」「陸軍大臣東条英機」の文字と、天皇の「可」の印がみえる。天皇の決裁をあおいだ「御裁可書」だ。45年8月の「特別緊急電報」では「広島」「調査団ヨリ」「原子爆弾ノ爆発中心ニ於ケル放射能」の文字がよみとれる。

 防衛省防衛研究所などによると、これらの文書は、96年4月末、自衛隊市ケ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、簡易防空壕(ごう)と推定される壕の地下約2メートルから発見した。大半は焼損し、半世紀にわたって湿気を帯びた状態だったため、劣化は著しく、ページを開くこともできない状態だったという。

 当時研究所にいた軍事史家の原剛さん(80)は史料の仕分けを担当した。「腐った臭いがした」と振り返り、「灰になるまで見届けずに砂をかけてしまったのだろう」と終戦時の慌てふためく様子を想像したという。

 原さんらは専門家の意見を聞き、腐食を防ぐためにマイナス20度以下の保管場所をさがして一時収容。史料価値の高いものなどを選び、修復作業を進めた。

 「市ケ谷台史料」と名付けられた史料群は、主に参謀本部第3課が保管していた文書で、編制・動員などに関する御裁可書、編制表、電報綴などで、現在は101番まで番号が付けられて公開されている。

 原さんは「敗戦時の焼却処分で、陸海軍の歴史研究に必要な基本的史料が欠落し、歴史の空白やなぞが解明されない部分がある。市ケ谷台史料は、陸軍の戦争指導、作戦指揮について、関係者の証言を裏付けるもの」とその意義を語る。また、「機密文書が大量に焼かれてしまった一方、隠匿されて残された重要な公文書もあり、歴史の大切さを私たちに教えてくれる」と話している。(木村司)