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 岐阜県白川町の国道41号で観光バスが飛驒川に転落し、犠牲者104人を出した「飛驒川バス転落事故」は、18日で発生から50年を迎える。国土交通省がようやく本格的な迂回(うかい)路の建設に乗り出した。いまも関係者には深い傷を残す。

 名鉄のグループ会社などが企画した旅行のバスだった。岐阜県可児市兼山の知葉(ちば)幸雄さん(90)は当時、名鉄労組組織部長。早朝マイカーで現場へ走った。道路は水浸しで巨大な岩が転がり、奇跡的に事故を免れたほかのバスが止まっていた。

 顔見知りの社員が全身ずぶぬれの下着姿でぼうぜんと立っていた。「大勢死んでしまった」と泣いた。背中を抱き、「あんたのせいじゃない」と落ち着かせた。その後、労組も遺族の国家賠償訴訟を支援した。

 岐阜国道事務所は今年、国道41号の現場付近6・2キロ区間で大半のトンネル、橋梁(きょうりょう)化に乗り出した。調査費は8千万円。この50年、岩肌をネットやコンクリートで覆い、小規模なトンネルは造ったが、本格的な迂回路は初めてだ。

 「犠牲者の思いが通じた」。転落し、ぺしゃんこになったバスの車体を目撃した白川町の横家敏昭町長(70)は話す。

 事故は、複数の土砂崩れで立ち往生したバスが土石流に押し流されて起きた。遺族の国家賠償訴訟で、1974年の名古屋高裁は「道路管理に瑕疵(かし)があった」と国の手落ちを指摘した。旧建設省は事故直後、全国初の事前通行規制を開始。連続雨量が150ミリを超えると通行止めにするもので、今年度も2回規制している。

 ただ、住民や観光業者らにとって1本しかない基幹道路閉鎖は痛い。本格的な迂回路建設は懸案だった。

 総事業費は190億円。設計や用地買収、工事期間を見込むと、完成は10年以上先だ。岐阜国道事務所は今年度、県内の東海環状道建設に300億円超を投じるが、都市部に比べ利用者が多くない地域の道路に回せる予算は多くないのだ。

 「これじゃだめですよ」

 賠償訴訟の原告側弁護団に加わった名古屋市の弁護士大脇雅子さん(83)は、話す。当時、現場検証で岩肌に触ったらぼろぼろ崩れ、危険を実感した。切り立った山の裾野の細道という道路構造が50年も変わらなかったことが腹立たしい。今年6、7月にも現場上流のJR高山線が土砂崩落で不通になったばかり。「道路も鉄道も安全対策の基準が緩すぎないか」と指摘する。

 この事故で刑事責任の追及は見送られた。「誰も責任をとらなかった」。当時、名古屋市立菊里高校1年で、生徒会の友人を亡くした名古屋市中区の人形店営業部長、大西嘉一郎さん(66)は今も疑問を抱く。

 1年生ながら友人が生徒会長、大西さんが副会長だった。事故2日前も一緒に学園祭の準備をし、東山動植物園で遊んだ。直後、生徒会で捜索に行こうとして学校に止められた。大西さんは合同葬のため、生まれて初めて弔辞を書いた。

 友人は学校と飲料自動販売機の設置交渉をしたり、演劇の脚本を書いたりと活発だった。「どんな大人になっただろう」と思うと無念だ。ほぼ10年ごとに慰霊祭に参列しており、今年も訪ねるつもりだ。

 18日午後1時、白川町町民会館で、町などでつくる実行委員会主催の「8・17災害」防災シンポジウムが開かれる。入場無料。(編集委員・伊藤智章)

棺おけが並ぶ集会所、母亡くした男性語る

 「これが僕ですね」

 事故で母(当時31)を失った愛知県尾張旭市に住む中学校教頭、西川欣吾さん(55)は、古びた事故直後の新聞記事を指さして話す。写真に父、兄、幼稚園児だった西川さんの男3人が写っている。

 西川さんもバス旅行に行くはずだったが、出発の朝、たまたま取りやめた。明け方、事故の連絡があった。親の死はピンとこなかったが、集会所に棺おけがずらりと並ぶ異様な光景を覚えている。

 父は車の営業マン。記事にはコロッケやカレーを子どもに食べさせていると書かれているが、温め直したご飯に、布巾の洗剤のにおいが染み込み、「こんなん、食べれん」と文句を言って怒られた。

 2年前亡くなった父の遺品から当時の新聞などが出てきた。父は毎年の慰霊祭に参加し、いつも崩落現場の石を自宅に持ち帰った。50個ぐらいになる。再婚した父と詳しく話したことはなかったが、「ずっと事故のことを思っていたんだろう」。西川さんも西日本豪雨など災害が起きるたび、母を思い出す。今年も慰霊祭に参加する。

     ◇

 〈飛驒川バス転落事故〉 1968年8月18日未明、岐阜県白川町の国道41号で土石流が発生し、押し流された観光バス2台が飛驒川に転落。104人が死亡・行方不明になった。一行は、名鉄のグループ会社と名古屋市内の団地向けのフリーペーパー会社が主催し、乗鞍を目指す15台の観光バスツアーの乗客らだった。