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(15日、高校野球 木更津総合7―0興南)

興南・宮平永琉(ながる)

 北海道の函館から沖縄に来た。一年中、大好きな野球を思い切りしたかったから。父が育ち、自分が生まれた沖縄で、甲子園を目指そうと決めた。

 最初に浮かんだ強豪校が興南だった。我喜屋監督の書いた本「逆境を生き抜く力」を母さんに頼んで買ってもらった。「野球だけではダメ。自立心を高めないと社会で役に立つ人材になれない」という内容を読んだ。興南だったら好きな野球をやりながら、いい大人になれると思った。中学のコーチに、北海道で指導していた我喜屋監督を知っている人もいた。「間違いない」って背中を押してくれた。

 監督の指導は想像以上だった。寮生活の時間厳守はもちろん、あいさつの徹底、授業中の態度など、野球以外のことが厳しかった。朝の散歩の腕の振り方まで決まっていたのにはびっくりした。食事の時に音を立てないように食べるのもあまり意識したことがなかった。食べ残しは禁止で、あまり好きじゃなかったゴーヤチャンプルーはしんどかった。

 名前に琉球の「琉」がついているけど、6歳から中3まで北海道にいたから、沖縄の記憶はほとんどない。顔のほりは深くて濃いから、「北海道から来た」って言っても誰も信じてくれなかった。

 気候の違いはびっくりした。台風対策で野球道具を屋内に隠したり、打撃用ネットを倒したり。台風の雨の音とかがこわくて、みんなに聞いたら、「こんなの全然だよ」って言われ、もっとびっくりした。夏はとても暑いのに長袖で練習する。もう、汗が止まらなくて。修学旅行が北海道で、みんな初めて見る雪に騒いでいたけど、正直、全然うれしくなかったな。スキーでは、周りがスキー靴を履くのに苦労しているなか、1人だけかっこよくスキーのターンを決められたのは気分よかった。

 北海道から興南にきた選手は初めてって聞いた。野球のレベルは高くて3年間、ベンチには入れなかった。でも、集団生活の基本は身についたと思う。試合には出られなかったけど、最後は甲子園で、チーム興南として一緒に頑張ってきたみんなを応援できたから悔いはない。大学でも野球を続けて、将来は高校の社会科の先生になって北海道で監督の野球を教えたい。それが、次の夢。(大西史恭