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満蒙開拓

 日本政府は1936年から、国策として旧満州への開拓政策を進め、敗戦直前に旧ソ連が侵攻した際、国境地帯や鉄道沿線などに約27万人がいた。日本の関東軍主力は先に撤退しており、住民避難は難航した。敗戦後の政府の帰国支援も遅く、現地住民や旧ソ連兵による暴行、略奪を受けた。旧満州での民間人死者約18万人中、開拓団が約8万人を占める。佐世保や博多などの引き揚げ港には「婦人相談所」が設けられ、性病や妊娠の検査、治療を呼びかけた。公費で堕胎した記録もある。