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 東日本大震災の津波で多数の犠牲者が出た岩手県大槌町の旧役場庁舎。「残すべきだ」との声もあるが、町は解体を始めた。アスベスト調査など法定の手続きをしていなかったため、工事は休止中だが、町はいずれ再開する方針だ。「最後の夏」になるとみられるお盆直前の10日午後から13日午後までの丸3日間、庁舎を訪れる人の声に耳を傾けた。

10日 「ようやくここで祈れた」

 工事用の足場で囲まれた旧庁舎前には市民らが整備した屋根付きの献花台があり、仏像も安置されて犠牲者を弔う場になっている。

 10日午後。東京から帰省中の大学生伊藤帆南さん(22)が幼なじみの女性とやって来た。「街が変わりすぎて全然分からないけど、(旧庁舎が)あると昔のことは思い出せる。なかったら津波が来たのすら分からないかも」

 辺りが暗くなり始めたころ、地元小学校で勤務経験のある石川和広さん(53)が、元同僚のために静かに手を合わせた。これまで何度か車で近くを通ったが、足が向かなかった。「7年が過ぎ、ようやくここで祈ることができました」。取り壊しが迫っていることに背中を押されたという。

11日 「生き残り後ろめたさ」

 月命日の11日早朝、近くの災害公営住宅に住む岩間英二さん(64)がやってきた。「おらみたいなのが生き残った。役場で活躍してた(津波犠牲者の)幼なじみに後ろめたさを感じる」。自分にできることをしようと、7年以上、週2回の掃除は欠かさない。

 旧庁舎で長女を亡くした町内の60代の男性が祈りに来た。「(建物が)なくなるのはしょうがない。でも慰霊の場は作ってほしい」と語り、仕事に向かった。

 昼を過ぎると訪れる人の数が増えた。「追悼のため」「企業の研修で」「子どもの夏休みの自由研究」「子どもに見せておきたかった」と理由は様々だ。「ひと目で津波の恐ろしさが分かる」という感想を何度も聞いた。同時に、遺族らの中に「見たくない」と言う人がいるのも分かると話す人も多かった。

 建設現場で施工管理をしている埼玉県所沢市の島津孝夫さん(64)は、これまで、宮城県南三陸町の防災対策庁舎など、各地の震災遺構を見てきた。仕事柄、破損状況や構造を熱心に観察する。「絶対に、いい加減な建物を建ててはならない」と、仕事への決意を胸に刻んでいた。

 11日午後2時40分。平野公三町長の言葉が、防災無線から2分半ほど流れた。「災害公営住宅は全体の8割が完成し、復興が目に見える形で一歩一歩着実に進んでおります」

 地震発生の午後2時46分。サイレンが響くと、居合わせた6人が目を閉じた。

 この日の夕方。町内に住む60代女性は複雑な胸の内を明かしてくれた。「壊すも涙、残すも涙。それがみんなの正直な気持ちなの」

12日 「残っていることの価値」

 12日午後、京都市内からバイクとフェリーで来た三宅泰人さん(25)に会った。旅行会社勤務で、「その場所のもつ『価値』を提供できれば、お客様は必ず喜んでくれる」と話す。被災地を訪れるのは2度目だ。「各地の震災遺構が減っていく中、こうして残っているだけでも価値がある」

13日 「モノだけれど、人とつながり」

 13日午前。毎年ここを訪れる福島県会津若松市の会社員須貝陽二さん(53)は「旧庁舎の存在感」を語った。「デジタル化が進む時代なのに、人を集める力がある。モノだけれど、いろんな人とつながっていると思うんです」

 取材した3日間、確認できただけで309人が訪れた。初めて来た人も多く、ほとんどが町外からだった。犠牲者を悼み、津波の脅威を知る場所というだけでなく、来る人それぞれの人生に照らした思いが集まり、強まる場所になっていると感じた。(小玉重隆、福留庸友)

【動画】解体に向かう岩手・大槌町の旧役場庁舎=福留庸友、小玉重隆撮影

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 〈大槌町旧役場庁舎と震災遺構〉 東日本大震災で2階建ての建物は津波にのまれ、当時の町長ら職員28人が死亡。その後、「震災遺構として残すべきだ」「思い出すのがつらいから壊してほしい」と意見が割れた。前町長は一部保存を決めたが、解体を公約に2015年、現在の平野公三町長が当選。町は今年5月末に工事に着手した。一方、住民団体は今月17日、工事差し止めを求めて提訴した。

 震災遺構の例では、宮城県石巻市の大川小旧校舎の保存が決定。南三陸町の防災対策庁舎は県の管理で残し、震災20年後の2031年に保存の是非を判断する。一方、気仙沼市に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」など、解体されたものもある。

岩手県大槌町の役場旧庁舎を巡る動き

2011年3月11日 東日本大震災による津波で当時の町長と職員28人が死亡

13年3月 碇川豊・前町長が庁舎の一部保存を表明

14年4月 正面部分を除いた旧庁舎の7割が解体される

15年8月 選挙で解体を公約に掲げた平野公三・現町長が当選

同年12月 大槌高校の生徒たちや町議会が早期判断の回避を求める

17年12月 平野町長が「復興が進んだ」として3月議会に解体予算案の提出を表明

18年3月 町議会が解体予算案を可決。解体が決まる

同年5月 解体工事に着手。その後、法律違反が次々と発覚し、中断

同年8月17日 住民らが盛岡地裁に工事差し止めを求めて提訴