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(18日、高校野球 大阪桐蔭11―2浦和学院)

 「PL超え」の一発は4番のバットから生まれた。五回2死。大阪桐蔭の藤原は「ずっと内角を攻められていた。狙ったろ」。

 内角ぎりぎりにきた初球の143キロ。浦和学院・渡辺のベストボールを全力で振り切った。右翼へ高々と打ち上げた打球は、大阪桐蔭が1991年の初出場から夏の甲子園で積み上げた46本目の本塁打に。あのPL学園を抜き、歴代1位の記録となった。

 そんな数字をもちろん、藤原は知らない。「え、そうなんですか。うれしいです」とは言ったが、それよりも「久々に4番の仕事ができた」と喜んだ。

 苦しんでいた。高岡商との3回戦は4打数無安打で2三振。「完全に崩れた」と試合後は悩みを口にしていた。翌日は「悔しさを持って」練習した。「自分は少し体が『張った状態』の方がいい」と考え、普段よりも筋力トレーニングを多く取り入れるなどして修正をはかった。

 そして、試合に入れば、「まずはしっかり振ろう」。迷いを捨て、初球を振り切った本塁打。この修正能力とメンタルが、春からの一番の成長だろう。

 「4番の仕事」と藤原は何度も口にした。今春の選抜から、すっかり定着した打順だが、藤原自身は違和感を持っていた。50メートル6秒を切る俊足を生かした「1番」こそ、自分に最も合っていると思ったからだ。

 1年秋から藤原を1番で起用してきた西谷監督も同じ考えだった。が、2月のある夜明け、監督が見た「夢」が運命を変えた。

 「甲子園で、『4番センター藤原君』とアナウンスされた瞬間、お客さんがわいたんです。へえー、4番は藤原なんやなって見ている自分がいた」。練習で早速試すと、「中川、藤原、根尾の中軸も厚みがあっていい」と感じた。

 夢は正夢となった。

 今、藤原は「4番に自分がいるとつながりがいい」と感じる。3回戦は8安打で3得点と苦しんだチームはこの日、二回に根尾が先制弾、六回は中川、藤原の連続適時打などで6点。そして八回、再び藤原が中越えにライナーで突き刺した。

 史上初となる2度目の春夏連覇へ向けて、誰もが苦戦を予想した浦和学院との大一番。「夢の打線」がついに目覚めた。(山口史朗

大阪桐蔭(北大阪)がチーム別歴代最多の夏通算48本塁打

 浦和学院(南埼玉)戦で4本塁打を放ち、PL学園(大阪)の通算45本を抜いた。第1号は第73回大会(1991年)で萩原が樹徳(群馬)戦でマーク。本塁打数3位は44本の智弁和歌山。

チーム別通算本塁打数(18日現在)

1位 大阪桐蔭(北大阪) 48本

2位 PL学園(大阪)  45本

3位 智弁和歌山     44本

4位 明徳義塾(高知)  31本

5位 天理(奈良)    28本

6位 日大三(西東京)  26本

7位 帝京(東東京)   25本

8位 常総学院(茨城)  23本

9位 仙台育英(宮城)  22本

9位 横浜(南神奈川)  22本

9位 宇部商(山口)   22本

1試合チーム4本塁打は歴代2位タイ

 大阪桐蔭(北大阪)が浦和学院(南埼玉)戦で記録。1位は88回大会(2006年)の準々決勝で5本塁打を放った智弁和歌山。4本塁打は第67回大会(1985年)の準決勝でPL学園(大阪)がマークするなど、過去5度(1位を除く)あった。