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 安倍晋三首相と石破茂氏。その生い立ちと政治キャリアからは、二人の政治家の共通点と違いが浮かび上がる。

 安倍氏は1954年、東京生まれ。父は後に外相、自民党幹事長などを務めた安倍晋太郎氏、母は岸信介元首相の娘・洋子さんという華麗な政治一族だ。

 次男ながら、幼い頃から政治家を志していた。小学校から大学まで東京の成蹊学園で過ごし、神戸製鋼で3年半の会社員生活を経て、父・晋太郎氏の秘書となる。91年に晋太郎氏が亡くなり、93年の衆院選で初当選した。

 00年に森喜朗内閣の官房副長官に登用され、小泉純一郎内閣まで3年務めた。拉致問題への取り組みで注目され、03年に自民党幹事長、05年には官房長官に。06年に小泉氏の後を継ぎ、戦後生まれで初、戦後最年少の52歳で首相になった。

 だが、一度目の首相の座は、不本意な結末を迎えた。閣僚不祥事や年金問題などで支持が急落し、07年7月の参院選で大敗。続投したが、9月に病気を理由に退陣した。約1年での突然の退陣が、09年の自民党下野の引き金を引いたと党内で批判を浴びた。

 自民党が野党だった12年に総裁選に再挑戦。地方票で石破氏を下回ったが、議員票のみで決まる2回目の投票で逆転し、総裁に返り咲いた。現在、好調な経済を推進力に、第1次内閣と通算で戦後歴代単独3位の長期政権を維持する。

 政策や思想の面で岸氏の影響を強く受ける。岸氏が日米安全保障条約改定に政治生命をかけたように、首相は集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法を成立させた。

 そして今、岸氏が成しえなかった憲法改正を掲げて総裁選に臨む。

 趣味はゴルフ。夏休みは知人らを招いて別荘で連日興じるほか、政治のツールとしても重視する。岸氏が57年に渡米した際、当時のアイゼンハワー大統領とゴルフをしたように、昨年の訪米時以後、通算3回、トランプ大統領とプレーして蜜月ぶりをアピールした。

 一方の石破氏は1957年生まれで、鳥取で育った。

 鳥取大学教育学部付属中学、慶応義塾高校、慶応大を経て旧三井銀行に入行。鳥取県知事、参院議員などを務めた父・二朗氏の死後、二朗氏と親交が深かった田中角栄元首相に背中を押されて政治家の道へ進んだ。

 田中派の職員を経て、1986年7月に旧鳥取全県区で初当選し、以後、連続当選11回。

 政治改革をめぐり、93年に宮沢内閣の不信任案に賛成。無所属で衆院選を戦い、後に離党。新生党、新進党に所属した。「青い鳥はいない。自民党から変えていかなければならないと思った。挫折感は大きかった」と振り返る。

 97年、自民に復党し、02年に防衛庁長官で初入閣。「政治的に対立する立場だった」とする小泉純一郎元首相が自らを登用してくれたことに、「人事はかくあらねばならないと思った」と言う。防衛相も務め、「国防族」の印象が強いが、本人は「本業は農林水産」と自負する。

 政治家になる前、渡辺美智雄元副総理の講演で聴いた「政治家の使命は、勇気と真心をもって真実を語ること」が信条だ。「師」と仰ぐ田中氏から受けた「選挙は歩いた家の数、握った手の数しか票は出ない」との教えは、今も自らの選挙哲学とする。

 2008年、12年の党総裁選に立候補。第2次安倍政権では、幹事長、地方創生相を務め、15年9月に「水月会」(石破派)を旗揚げした。

 鉄道やプラモデル、キャンディーズなど70年代アイドルに一家言持つほか、クラシック音楽も好む。議員会館の自室は、防衛関係の書籍が並び、ミニ軍事図書館の様相を見せる。料理、洗濯も好きで、自作のカレーに自信を持つ。妻の佳子氏は大学の同級生で、「愛妻家」を自認する。(小野甲太郎、岩尾真宏)

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