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(18日、高校野球 金足農3―2近江)

 18日の準々決勝第4試合で、金足農(秋田)が劇的に勝って4強の最後のイスを射止めた。1点を追う九回無死満塁から2ランスクイズを成功させ、近江(滋賀)にサヨナラ勝ち。相手の意表を突いたからこそ成功したが、実は金足農の中泉一豊監督(45)にとっても予想外のプレーだった。

 九回は先頭からの連打と四球で塁が埋まった。打席には9番の斎藤璃玖(3年)。中泉監督は3球目にスクイズのサインを出した。これは「まず1点」と考えての作戦だった。

 普通は無死満塁でスクイズは出しにくい。よほどいいバントでなければ、フォースプレーで本塁アウトになるからだ。中泉監督は「斎藤のバントの精度」にかけた。チーム内でもバントがうまい数人に入る。実際、三塁前へ絶妙のバントを転がした。三塁走者はまず生還。相手の三塁手はホームをあきらめ、一塁へ投げた。この時、二塁走者の菊地彪吾(同)が勢いよくホームへ突入してきた。

 菊地彪はチーム一の俊足だ。だが、「まず1点」としか考えていなかった中泉監督は、2人目の走者に気付いていなかった。「正直、見ていませんでした。気付いたのは(塁間の)3分の2くらい来たところでした。選手の判断です」。そう言って苦笑いした。

 中泉監督は同校OBで、1990年春の選抜大会に出場。3年前に母校の監督に就任し、そこからは「次の塁を狙う姿勢を意識付けてきた」。自身が現役時代、恩師の嶋崎久美さんに教えられた野球だ。「一塁より二塁。二塁より三塁。それがホームだろうと同じ」と言うが、その指揮官でさえ予想しなかったプレーだった。「まず1点」どころか、勝ち越し点まで奪って試合を終わらせた。

 エース吉田はこれで4試合連続完投。この日は股関節に炎症が出て、異常があれば途中で交代させる準備もしていた。同点のまま延長になっていれば、34年ぶりの4強進出も実現できたか分からない。

 1984年夏は、準決勝でPL学園と対戦。2年生だった桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」を向こうに回し、2対3で敗れたが、初出場校の大健闘とたたえられた。当時の監督が嶋崎さん。恩師に並びましたね、と質問されると、中泉監督はうれしそうにこう言った。「恐れ多いです。選手の頑張りが一番」(伊藤雅哉