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広島原爆の残り火を、福岡県南部の山あい、八女市星野村が「平和の火」として受け継ぎ半世紀になった。村在住の陶芸家・山本拓道さんは、火をもたらした父・達雄さんの遺志を語り継いでいる。原爆に肉親を奪われたうらみと平和を願う赦しの間で葛藤した達雄さんと火の歩みを聞いた。

 私の生まれ育った星野村(現・福岡県八女市星野村)では、子どものころ、冬の暖房器具は火鉢が、まだ一般的でした。

 《1950(昭和25)年生まれの山本拓道さんは、そう振り返る》

 ところが、わが家は真夏も火鉢に火を入れていました。私はそれを当たり前と思い、夏休みに友だちの家に遊びに行くと、「どうして火鉢がないのだろう」と不思議でした。

 その火は、私の父達雄が45年9月、広島から持ち帰った原爆の残り火でした。それを遺骨代わりに、原爆の犠牲になった父の叔父彌助(やすけ)さんの葬儀をしました。その後も父の祖母キクさんは火を消そうとせず、火鉢やかまどで燃やし続けました。朝晩には、その火で仏壇に線香をあげ、わが家の日課になりました。キクさんにしてみれば「供養の火」でした。

 《実家が精米業を営んでいた達雄さんは、戦後は農家に転じた。だが、慣れない農作業に苦労した》

 父がよく畦(あぜ)にへたり込…

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