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甲子園観戦記 掛布雅之さん(プロ野球阪神前2軍監督)

 歓声がきれいだね。殺気立っていない。プロ野球とはまた雰囲気が違う。甲子園で高校野球を見るのは、母校習志野の応援に来た17年前以来です。その高校時代、甲子園に出られたのは2年生の夏の一度だけ、涙を流したのも、その時の一度だけでした。

 1972年の54回大会1回戦で東洋大姫路に3―5で負けた。僕は4番遊撃手で4打数1安打1打点でした。アルプスへのあいさつの時、隣で先輩が泣き崩れたんです。芝田道夫さんというマネジャーで、メンバーに入っていた。その姿を見て「なんで俺、4番なのにもっと打たなかったんだろう。先輩たちの野球を終わらせてしまったんだろう」とこみ上げたんです。

 後に阪神で4番打者となり、チームが負けた責任を背負うのが4番だと自負してきました。自分が打てずに負けた時、マスコミに責められることが4番の証明だと。夏の甲子園の空気が思い出させてくれました。僕の原点はやっぱりここにあったんだ、と。

 金足農は秋田大会から選手交代がない? 僕らの頃の昭和の野球に重なります。9人で戦ってきたということは、前後の顔がしっかり見える。強いわけだ。85年の阪神での日本一もそう。メンバーが固定されているから、役割が明確だった。準々決勝は2ランスクイズでのサヨナラ勝ちでしょう。優勝するような時はミラクルが起きる。85年はバース、岡田とのバックスクリーン3連発があった。金足農に吹く風を感じます。

 金足農がリードして終盤へ。盛り上がりもすごいね。僕は現役時代、通算349本塁打のうち144本をここで打った。厳しい声も含め、おそらく甲子園で最も熱心に応援して頂いた選手の一人だと思います。大会は100回。自分がこの球場で育ててもらったからでしょう、僕は甲子園とは母親のような存在だと思うのです。優しくもあり、厳しくもあり、時に「魔物」と言われるいたずらもする。そうやって、高校球児もプロ選手も育ててきてくれた日本の野球の母親なのだと。

 吉田君が最後のアウトをとった。日大三も見事です。これまで敗れた3777チームに胸を張れる素晴らしい準決勝でした。色紙の言葉は憧球(どうきゅう)と読みます。憧れを持つ心が人を前に進ませてくれる。その心を大事に、という意味を込めています。日大三アルプスの前、泣いている選手がいる。46年前の僕たちと同じです。憧れて甲子園を目指し、そこで流した涙は、必ず新しい一歩を踏み出させてくれる。そのことも思い出させてくれた。来てよかった。両チームにありがとうです。(構成・竹田竜世)

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 かけふ・まさゆき 1955年、千葉県出身。63歳。阪神の4番として85年の日本一に大きく貢献。本塁打王3度、打点王1度など。昨季まで阪神2軍監督を務め、現在はオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー。