台湾なのに…人民元が流通、中国旗はためく島
中国福建省アモイのすぐ沖合にある台湾の離島・金門島が中国への依存を深めている。フェリーでやってくる中国人観光客を目当てに、商店街に中国国旗がはためき、人民元も流通。中国側から水を供給する送水管もつながった。かつて中台間で大規模な砲撃戦が交わされてから60年。「最前線の島」と中国との融合が進んでいる。(金門=西本秀)
金門島の陸軍施設で8月23日に開かれた「八二三砲戦」の60周年式典。厳徳発(イエントーファー)・国防部長(国防相)は、「硝煙が遠くへ去り、砲声は観光客の笑い声に変わった。だが、この戦火の経験があってこそ、平和の貴重さを感じられる」と語り、防衛意識の向上を呼びかけた。
1958年のこの日、中台統一を掲げた中国側の大砲撃が始まり、44日間の戦闘で台湾側は500人以上が亡くなった。砲撃戦はその後も断続的に79年まで続き、金門は中台にらみ合いの最前線だった。
戦跡、パフォーマンス化
だが、その硝煙や砲声の記憶はいま、島の観光資源になっている。
「第2砲、発射せよ」
軍服姿の解説員が砲撃を指示した。展示された8インチ榴弾(りゅうだん)砲から響いた「パンッ」という空砲の音。見守る約100人の中国人客らが一斉に歓声をあげた。
金門東部の高台にある、かつての陸軍の砲撃陣地。2011年に地元自治体に移管され、現在は毎日6回の砲撃パフォーマンスが披露されている。
砲身は、15キロ先の「攻撃目標」である対岸の中国福建省に向いている。その福建省甫田市から来たという観光客の中国人女性(64)は「戦いは昔の話。今は平和で気にしない」。台湾側の解説員も、金門の台湾人と結婚して移り住んだ中国人女性らが務める。
毛沢東の似顔絵カップも
アモイと金門の間で渡航が解禁されたのは01年。初年に951人だった中国からの渡航者は、17年は35万人に増加。今年は更に増える勢いだ。到着した港の駐車場で、スーツケースを引く中国人客が次々と観光バスに乗り込んでいく。
観光客向けの商店街では今年から、中国の「五星紅旗」と台湾の「青天白日満地紅旗」が並んで掲げられている。店員の李慈涓さん(22)は「お客さんを歓迎する意味。互いの友好の象徴です」と屈託ない。二つの旗の共存は、台湾本島や中国本土では、ほぼ見かけない光景だ。
観光施設の売店では、中国建国の指導者、毛沢東の似顔絵をカップにあしらった「毛沢東ミルクティー」も売っている。メニューには80台湾ドル(約290円)に加え、中国の人民元の値段も併記。島の土産物店やタクシーでは、いつの間にか人民元が流通し始めた。
中国側と水道つながる
金門と中国側との距離は最短で約2キロ。一方で台湾本島との距離は約200キロある。台湾独立志向のある民進党の蔡英文(ツァイインウェン)政権と中国との関係は冷え込むものの、金門の政治は目の前の大陸を向いている。
「水がつながった次は、電気と橋だ」。8月5日、中国側から金門へ水を供給する約16キロの海底送水管がつながったことを祝う式典で、地元自治体のトップ、陳福海・金門県長は中国側との更なる連携を訴えた。
アモイと金門は中国語の方言が共通で、49年の中台分裂までは人々が行き交い、親族のつながりも残る。通水計画が決まったのは中台接近を図った国民党政権時代だった。陳県長は無党派で、金門県議会も19議席のうち18議席を国民党と無党派が占める。
たった1人の民進党県議である陳滄江氏(63)も祖母はアモイ生まれだ。「金門人の大陸に対する親近感は特別。民主主義や言論の自由など体制の違いを訴えているが、台湾本島とは意識が違う」。民進党は中央では与党でも、金門では野党の存在になるという。
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