[PR]

流れ星の夜に 御巣鷹33年:上

 520人が亡くなった日航機墜落事故から8月12日で33年が過ぎた。群馬県内に勤務していた私は、事故翌日、墜落現場となった同県上野村の「御巣鷹の尾根」に入り、その後数カ月に及ぶ現場取材にあたった。凄惨(せいさん)な現場の光景。自らの人間性を問われる気がした。その後、山を下りた私は、四半世紀近く、避けるように「御巣鷹」から離れた。だが、あることを機に再び尾根へ登り始め、今年で9年ほどになる。事故のあった夏から、何が変わり、何が変わっていないのか――。今夏、33年ぶりにあの事故のことを書いた。

高松浩志(たかまつ・ひろし) 1960年生まれ。84年入社。静岡支局員、群馬県の太田支局員、東京本社制作部員、大阪本社整理部(現・編集センター)員、同センター特集版編集長、兵庫県の明石支局長などとして勤務。

 「この沢にも、尾根にもたくさんの墓標がある。沢では、生きて見つかった方もいるんだ」

 「今、林となっているこのあたりは、機体の破片で木がなぎ倒されて、何もなかったんだよ」

 8月12日朝。神戸市東灘区の小沢秀明さん(32)は、6月に結婚したばかりの妻・裕美さん(32)に説明しながら、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」へと続く道を登っていた。大阪府豊中市に住む秀明さんの母・紀美さん(62)がそばに寄り添う。

 33年前の8月12日午後6時56分。乗客乗員524人を乗せた日航ジャンボ機が同村の山中に墜落した。紀美さんの夫、孝之さん(当時29)は東京出張からの帰りだった。尾根の上には孝之さんの墓標がある。

 事故当時、秀明さんはまだ紀美さんのおなかの中にいた。幼い日は母の背中におぶわれ、少年時代からは母とともに、尾根へ登り続けた。道すがら、母が何度も説明してくれた言葉そのままに、秀明さんはこの日、裕美さんに伝えた。

 墓前で結婚を伝えた後、秀明さんは語った。「母から僕、僕から妻へと伝えることが出来た。父もきっと喜んでくれていると思います。幸せな家庭を築いていきます」

 その脇で母の紀美さんもほほえんだ。紀美さんは以前、「秀明がいたから命を絶たなかった」と私(記者)に語ってくれたことがある。

 「夫との結婚生活は、1年10カ月でした。ほんとうに幸せでした。今、夫と向き合える、ふたりの時間が戻ってきたような気がします」

   …

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら