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 死刑は、どのように決まるのでしょうか。最高裁はかつて「基準」を示していますが、実際に死刑判決を言い渡した元裁判官は「悩みながら考えた」と明かします。現在では、市民の中から選ばれた裁判員も死刑の判断に関わります。死刑の選択にかかわった当事者の思いを紹介し、そのあり方をみなさんと考えます。

少年事件の死刑 特に悩んだ 元最高裁判事・宮川光治弁護士

 死刑と向き合うことは「心が重い」仕事です。最高裁判事のころ、いくつもの死刑事件に関わりました。記録を読み込み、悩みに悩んで判断しました。執行の報道が流れるたび、自分が関わった事件かどうかは気になります。職業裁判官ではない裁判員ならなおさら、生涯の重荷となるのではないでしょうか。

 特に悩んだのは、少年事件の死刑でした。山口県光市の母子殺害事件で多数意見は死刑でしたが、「被告の精神的成熟度が相当程度低いという事実が認定できるなら、犯情などが変わる可能性がある」などと反対意見を書きました。最終的に死刑は確定しました。一方、少年グループが若者4人を殺した連続リンチ殺人事件は残虐性もあり「死刑はやむをえない」と判断しました。

 最高裁は法律が憲法に適合するかどうかも審理します。過去には、両親らを殺害した場合は死刑または無期懲役とし、通常の殺人より刑を重くする刑法の「尊属殺人」の規定や、結婚していない男女間の子の法定相続分を、結婚した男女の子の半分とする民法の規定などを違憲と判断しています。国内事情だけでなく、世界の潮流を念頭に、人類の理性が到達した地点を考慮した判断だといえます。

 国境を越えて人々が自由に移動する時代、刑罰も世界との調和が求められています。憲法の前文にあるように、日本が国際社会で名誉ある地位を占めたいのであれば、政治や司法は世界の潮流を踏まえ、死刑の是非も国民に語りかけていく姿勢が必要だと思います。

量刑判断の背景 説明が必要 元刑事裁判官・波床(はとこ)昌則弁護士

 2011年に千葉地裁で裁判長として死刑判決を言い渡しました。千葉大生1人を殺害した強盗殺人罪に加え、強盗強姦(ごうかん)など計九つの罪に問われた被告で、殺害の計画性は認められないが、短時間に他の重大事案を複数起こしていたことなどを踏まえ、「死刑を避ける決定的な事情にはならない」と判断しました。

 審理をしたのは裁判官3人と裁判員6人。9人いれば多様な意見があるのは当然です。真剣に議論を重ね、導いた結論でした。

 東京高裁で被告は無期懲役となり、最高裁で確定しました。高裁は、被害者が1人の強盗殺人事件では、殺害に計画性がなければ死刑としない量刑傾向を重くみて、傾向から外れた判断をする場合には、説得力のある理由が必要なのに、私たちの判決は不十分だったと指摘しました。

 高裁の判断は不当だと思いません。ただ、どんな結論がよかったのかと問われれば、正直なところよく分かりません。一緒に考え抜いた裁判員がどう思ったのか、とても気になりました。

 量刑傾向や過去の最高裁の基準に機械的に縛られるのなら、裁判員が刑事裁判に加わる意味はありません。裁判所は裁判員に、なぜそのような量刑傾向になっているのかや、殺害された被害者の数の考え方を分かりやすく説明する必要があると思います。

永山基準の被害感情 重視傾向

 被告を死刑にすべきかどうかの基準は何か。最高裁は1983年、警備員ら4人を射殺した永山則夫元死刑囚に対する判決で一つの考え方を示しました。この判決では①犯行の罪質②動機③態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ④結果の重大性、特に殺害された被害者の数⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科⑨犯行後の情状――を挙げ、総合的に考慮して「やむを得ない」場合に死刑選択が許されるとしました。「永山基準」と呼ばれ、裁判員裁判が導入された現在も判決でよく引用されています。

 裁判員裁判で死刑が言い渡された被告は35人います。国学院大法学部の四宮啓(しのみやさとる)教授によると、判決では永山基準で示した項目のうち、犯行の態様や遺族の被害感情への言及が目立つ一方、被告の年齢や生い立ち、更生の可能性などはあまり重視されない傾向があるといいます。

 四宮教授は「裁判員がもっと自信を持ち、納得できる判断をするため、死刑選択の基準を明確にし、死刑事件の審理の在り方も見直す必要がある」と語ります。

復讐心の行き場・国家の殺人

 朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

●「死刑がだめだという意見は十分に理解できる。その一方で、死刑以外に罪をあがなえる方法があるのかという強い感情もある。『目には目を、歯には歯を』というのは野蛮で原始的なようにも思えるが、やはり人間の感情の根底にある大原則なのではないか。おそらくは、被害者とその遺族の傷が癒えもせず社会もその痛みを感じるだけだから、その反動が加害者への憎悪としてしか表出できないのではないだろうか。とすれば、必要なのは死刑の是非の論議ではなく、被害者救済方法の模索なのかもしれない」(大阪府・40代男性)

●「私は死刑は悍(おぞ)ましいですがあったほうがいいと思います。一番の理由は、被害者側に『死刑にしてほしい』という感情がある場合は、社会の決まりとして、その復讐(ふくしゅう)心や憎しみの行き場があるべきだと思うからです。絶対でないのは、冤罪(えんざい)や死刑に携わる人々の苦痛、死刑が執行されても被害者側は満足しないことがあります。冤罪の余地がある場合は長く留置することによって過ちを回避し、死刑に関わる苦痛は実態を公表すべきです。被害者側は加害者を許すことでしか心の平安は得られないと思いますが、難しいことです。凶悪犯の死刑執行は人々の記憶が新しいうちにされることが社会の秩序になります。終身刑は虐待にもなり得ると考えます」(高知県・60代女性)

●「刑罰としては残しておき、執行はしないモラトリアムが取りあえずはよいと思う。それで国民が不満ならば、裁判員のように執行ボタン係も抽選で決まった国民がやればよいと思う。記事内に、被害者と同じ方法で処刑しろという意見があったが、やるのは私や私の身近な人じゃないしと思っているから言えること」(東京都・40代女性)

●「人は誰でも間違いを犯すもので、それは裁判でも冤罪という形で現れます。また、最近では死刑になりたいなどと言う理由で幼い子供たちに刃物を向けた人もニュースになりました。その犯人も望み通りに死刑になったんですが、それでいいのでしょうか?」(山口県・50代女性)

●「むずかしい。自分の大事な人が人をあやめてしまったら。自分の大事な人がいきなり殺されてしまったら。答えは全く変わってくる。むずかしい」(神奈川県・30代男性)

●「すぐには無理でも廃止の方向に進んで欲しいと思う。たとえ国家といえど殺人は殺人であり、見せしめであると思うから。被害者遺族の立場になっても同じことが言えるのか? と言う人がいるがそれは、実際にその立場にならないと絶対にわからない。中途半端な共感で過激なことを言うのはやめて欲しいと思います。また人を殺しても死刑にならないことも多くあり、その区別も裁判員や裁判官がしなくてはならない。裁判員は誰でもなる可能性があり、今の日本の制度では、判決を下す側の負担があまりに大きいことも理由のひとつです」(大阪府・30代男性)

●「人を殺すなと命ずる国家が人を殺してはいけないと思います。むち打ちや手足切断のような身体刑が認められないのと同様、死刑は国家権力の限界を超えているのではないでしょうか。多数決で是非を決すべき性質の事柄ではないし、被害者感情の問題は死刑以外の方法(カウンセリングなど)を考えるべきだと思います。被害者遺族が加害者への復讐を望むのはごく自然な感情ではありますが、『恩を以(もっ)て仇(あだ)に報いる』という精神にこそ人間ならではの英知が隠されているのではないでしょうか」(神奈川県・40代男性)

●「日本の場合、殺人事例に死刑が適用されてきたケースが大半だが、諸外国とりわけ近隣アジア諸国においては麻薬事例ですら死刑適用の国も多い。それらの国とは国情が異なるし適正かどうかは日本人の私には判断出来ないが、一つ感じていることは、死刑に至る犯罪に対する刑罰とそれ以外の犯罪に対するそれとのバランスがあまりにいびつな感じがする。死刑を存続させようと廃止しようと抑止にはつながらず殺人事件はこれからもあると思う。むしろ他の犯罪とりわけ詐欺や薬物犯罪に対してより厳しい社会を目指し、終身刑に近い刑罰を創設し適用させることで、社会全体の治安が向上し、結果として殺人に至るような犯罪発生の減少につながっていくと思う」(東京都・50代男性)

●「死刑に反対するというと、家族が殺されても反対するのか! と非難される。もちろん、そのときにならないとわからない。遺族が極刑をと言うが、実際に死刑になって本当に気が休まるのか。知り合いにはいないのでわからない。ただ、他人の命を奪うことは殺人である。どういう理由だとしても」(福岡県・50代女性)

●「『遺族のために死刑が必要』とよく言われるが、実際には死刑制度があることによって遺族の苦しみや無念がより一層増しているという『事実』を、多くの人は知らない。結局は『遺族の気持ち』なんて真剣に考えもせず、自分たちが『人を殺したい』から『死刑は必要』と回答している人の多さにげんなりする」(東京都・30代男性)

◆この回は岡本玄が担当しました。

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