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Round21 高校野球のこれから 「庄説」

 第100回全国高校野球選手権記念大会が阪神甲子園球場で行われ、過去の名勝負、名プレーに負けない熱い試合が繰りひろげられた。

 夏の甲子園は1942年から45年まで、太平洋戦争の間に中止され、終戦の1年後に再開されるまで空白があった。その後、一度も途切れることがなく大会が続いている。選手たちが野球をプレーでき、多くの人が観戦できている平和な時代を深く感じていきたいと思う。

 今夏から導入された「タイブレーク制」という新ルール。延長十二回が終わって同点の場合、十三回から無死一、二塁の状態で始める。そうすることによって、得点が入りやすくなるので決着が早まるし、選手たちの疲労軽減が期待できる。

 このタイブレーク制は賛否両論があった。

 100回に及ぶ大会の歴史の中で、延長再試合というドラマチックな試合に感動した高校野球ファンはたくさんいると思う。

 僕は、元高校球児としても、高校野球ファンとしても、タイブレーク制には最初は疑問だった。

 しかし大会日数も限られていて、勝ち進めば連日試合を行わなければならない。未来ある球児の体のことを考えると、やむを得ないルール変更に思える。

 ダルビッシュ有投手が、学年に応じて投球回数を制限することを朝日新聞の記事で提案していた。大リーグで活躍されている一流選手が、自分の経験と知識をもとに訴えてくれるのは貴重だ。

 連日の酷暑対策としては、開会式や試合途中で、給水時間や休憩時間をとっている。選手、観客への配慮で、観戦する僕たちも多少なりとも安心できる。

 課題に直面しているのは野球だけではなく、中学・高校スポーツ全体に言えることだ。サッカーでは、高校の選手権大会の決勝進出チームが、1週間で5試合という聞いただけで倒れてしまいそうなハードスケジュールの中、戦った。

 もっと指導者側が研究し、よりよい環境を作っていくべきだ。成長期の選手たちを、体力的に酷使させない日程作りも課題ではないか。

 ただ、ここ数年で、試合だけでなく、練習における変化も感じる。

 僕らの時代は練習時に水を飲むことを禁止されていた。水を飲まないことで精神が鍛えられると信じられていたし、僕もその美学に取りつかれていた。

 根性論だったのだろう。それは百八十度変わった。今ではのどが渇いたと感じた時では若干遅く、その前に水分補給をしないとパフォーマンスが落ちると言われている。このように絶対に良いと信じられていたことを考え直し、新しい考え方を取り入れることも必要だ。

 練習量についても、朝から晩までがむしゃらに時間をかけて練習するより、短時間で集中して練習することが重視されているようだ。けが防止につながる利点もあるという。

 いろいろなトレーニング方法の情報が耳に入ることも増え、何がよくて何が悪いか、スポーツ科学的にわかりやすくなった点も大きいだろう。

 僕らは毎日休まずに練習した。休みはお正月の3日間くらいで、雨でも室内練習や走り込み。日没後もライトをつけてティーバッティングに明け暮れた。それが良いと思っていた。

 しかし個人的には、週に1回は休みを設けても良いと思うのだ。

 その休みに野球だけでなく違う競技をやってみるのも良いし、勉学の方に時間を取るのも良いだろう。だらだらと好きなテレビ番組を見て過ごすのも良いと思う。

 心身ともにリフレッシュができる時間もパフォーマンス向上のきっかけになる気がする。

 昔は野球部といえば絶対に丸刈り。僕も中学生から野球部に入って丸刈りだった。

 しかし今は髪形は自由でいいと思う。プレーや気持ちでチームが一つになっていれば問題はないと思うのだ。

 野球が一番人気だったのは昔の話で、野球離れが進んでいるという話を聞く。

 本気で甲子園を目指す高校もあれば、エンジョイで高校野球を楽しむ高校があっても良い。休みのない苦しいキツイ練習、髪形、などのマイナス面を先行させずに、野球本来の魅力、楽しさをもっと広めることも大事だと思うのだ。

 高校野球でよく議論されるのが、野球留学だ。

 野球をするために故郷、親元を離れ、単身で地方の高校に入学する。

 僕の時代からこの留学はあった。甲子園に出るために、憧れの甲子園でプレーするためにという純粋な気持ちが一番の理由だろう。

 都道府県の代表として全国大会で戦うのに、出身地を見てみたらバラバラで、純粋な代表とは言えないのではないか、という否定的な意見もある。学校側が優秀な選手を全国から集め、甲子園に出場することで学校のPRに使っているんじゃないかという意見もある。

 僕はこの留学に賛成だ。

 強豪校の有名な監督のもとで指導を受けたい選手は、全国に大勢いる。中学生の時期に、確固たる夢を持ち、野球に打ち込むことで精神的に鍛えられるし、大好きなスポーツを同じ志の仲間たちと共有することは人生において大きな財産になるだろう。

 僕は留学こそしていないが、中学の時に強豪校のグラウンドで練習に参加したことがある。良い経験だった。

 僕は甲子園に行けなかったし、3年間レギュラーでもなかった。甲子園でプレーできるのは毎年限られた選手たちだ。だからこそ、甲子園は多くの球児を引き付け、練習に打ち込むその背中を押す。

 高校野球は今後も伝統を大切にしながらも、伝統にとらわれすぎず、新しいことも取り入れ、選手たちが真剣に野球に向き合える良い環境を作ってもらいたい。

 そして今後の100年も、野球ができる幸せ、甲子園を観戦できる幸せをかみ締め、野球を通して成長できる場であってほしい。(庄司智春)

【論説委員講評】ルールは永久不変ではない

 庄司さんは元高校球児だけあって、話題やエピソードに事欠かず、本当に興味深い対談でした。

印象的だったのは、自分の失敗談や思い出を楽しそうに語りながら、常にこちらの表情を確かめ、意見には慎重に耳を傾ける姿でした。

 レギュラーではないけれど、副キャプテンとして仲間を鼓舞し、有機的に結びつける。おそらくチームの「触媒的存在」だったのでしょう。高校時代が目に浮かぶような気がしました。

 庄説の総括は、外角低めに上手から投げ下ろす直球です。「伝統を大切にしながらも、伝統にとらわれすぎず、新しいこともとりいれ、選手たちがよい状態で真剣に野球に向き合える環境をつくってもらいたい」。私も同感です。

 そこにいたるまでに、タイブレークの導入や酷暑対策、投手の肩ひじ問題、練習時間と休息、丸刈りと髪形、野球留学……と多様なテーマを縦横に駆け巡り、その一つ一つに、選手の立場、ファンの意識、組織の論理と、ていねいな分析を試みる。その寄り添い方に、この文章が持つ伝える力を感じました。

 もう一つ、庄説を読みながら浮かんだ連想はルールのことでした。

 ルールは永久不変ではなくて、状況や環境に応じて変わっていくべきだと考えています。日本のスポーツ界は競技のルールを守るのは熱心だけど、研究して新しいルールを作ることにはあまり興味をもっているようにはみえません。

 かつてラグビー競技の取材を担当していたときに、気になる人がいました。南アフリカのダニー・クレイブンという人です。元名選手で、ステレンボッシュ大学の教授でした。南ア協会の会長も長く務めました。

 彼はラグビーのフォーメーションやシステムはもちろん、新しいルールを考えては自分の大学のチームで試し、競技の統括機関に提案していく、ということをくりかえしていました。ルールによってゲームを進化させる。そんな原動力の一人だった、というわけです。

 競技や運営の弱点を補うルール変更は大事だけれど、子どもの関心を誘い、安全で面白いゲームに変えていくのも重要です。日本はコンピューターやテレビのゲームではあれほど世界の人を夢中にさせるものを作っているのだから、けっして苦手ではないと思うのですが。(朝日新聞論説委員・西山良太郎)

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