人形浄瑠璃文楽の三味線、人間国宝の鶴澤寛治(つるざわ・かんじ、本名白井康夫〈しらい・やすお〉)さんが5日午前4時30分、89歳で死去した。通夜は6日午後7時、葬儀は7日午前11時から、大阪市西区江戸堀1の10の31の金光教玉水記念館で営まれる。喪主は妻白井香衣(よしい)さん。

 京都で生まれ、文楽三味線の人間国宝だった父の六代寛治に入門した。戦時中の人手不足で慰問公演に駆り出され、1943年に鶴澤寛子(かんこ)を名乗って初舞台。寛弘(かんこう)を経て、56年に八代目竹澤団六を襲名、97年に人間国宝に認定された。胃の大部分を切除する大病を患ったが復帰し、2001年に七代目寛治を襲名した。

 近年は病気で公演を休むこともあったが、80歳を超えても床(舞台)に上がり続けた。8月7日までの夏休み文楽特別公演(大阪・国立文楽劇場)で「新版歌祭文(うたざいもん)」野崎村の段を千秋楽までつとめた後、体調を崩して入院していたという。

 弟子で孫の鶴澤寛太郎さんは「つやと色気がある音色が好きで、子どもの時からあこがれていた。基礎を積み重ねた上での撥(ばち)さばき、表現力は年をとっても衰えず、まねできない。亡くなる間際まで節度、美意識を学ばせてもらった」。演劇評論家の宮辻政夫さんは「模様を弾く(情を描く)ことを大事に、厳しい稽古をしてきた人。晩年の三味線は特に、情があり味わい深かった。昔の文楽を知る人がまた一人亡くなり、寂しい」と悼んだ。(岡田慶子)