【動画】西日本豪雨の被災3県で暮らす人たちの声=2018年8月、佐藤恵子(岡山)永野真奈(広島)波多野陽(愛媛)撮影
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 200人以上が犠牲になった西日本豪雨から2カ月余り。大きな被害のあった広島、岡山、愛媛3県では復旧が進むが、影響はなお残る。被災地で暮らす人たちはいま何を思うのか。

自宅が冠水、小野斐子さん(73)@倉敷・真備

 ひとりで暮らす岡山県倉敷市真備町地区の自宅は、(1級河川の)小田川や高馬川(たかまがわ)の決壊場所から西へ数百メートルほどの場所にあります。

 7月6日の夜、水が床上まで上がり、あっという間に外に逃げられなくなりました。2階に避難したけど、水は私の腰まできました。テレビが浮いて倒れて、一晩中、水につかったまま。冷たくて、冷たくて、もうアウトと思った。

 翌日の昼前に救助されました。水が引いてから自宅に戻ってみると、家はむちゃくちゃでした。なんとなく大丈夫だと思い込んでいたのだと思います。そしたら、こうやって水にやられてしまった。

 我が家の先祖は瓦の職人です。このあたりは良い瓦のもとになる粘土がとれたんです。いまの家の瓦も明石(兵庫県)のもので、立派でしょ。とても大切にしてきました。

 この屋根瓦を残したいから、浸水した壁や断熱材、床をはがしてリフォームしたいと思っています。ただ、人手もお金もかかるので途方に暮れています。ボランティアのみなさんに助けてもらいながら毎日、なんとか少しずつ作業を進めています。(聞き手・佐藤恵子)

ふりかけ工場が被災、石田浩司さん(52)@東広島

 ふりかけなどを製造している食品会社「みなり」(広島市南区)の広島県東広島市にある工場で、工場長をしています。

 7月、横を流れている川が豪雨であふれ、原料を保管していた倉庫など工場の1階が浸水しました。工場に続く県道が崩落し、一時は孤立状態にもなりました。約2週間は車が走れる道まで迂回(うかい)しなければならず、約2キロの山道を社員が段ボールをかつぎ、出荷していました。7月の売り上げは前年比で約7割減りました。

 生産ラインはほぼ戻りましたが、今は物流の問題が大きいです。県道の崩落部分には仮の道路ができたものの、道幅が狭いため大型の配送トラックが来てくれず、原料の入荷や製品の出荷がままなりません。往復約2時間かけて運送会社の配送拠点まで社員が車で通い、毎日をしのいでいます。

 人繰りも厳しいです。原料の加工を担当していたベテランの40代男性社員が行方不明のままで、彼とペアを組んでいた社員も自宅が被災したため出勤できていません。元々は100人を超える社員がいましたが、派遣社員の契約を打ち切らざるをえなかったこともあり、今は90人ほど。なかなか元通りにはなりません。(永野真奈)

ミカン畑が被災、加賀山東喜雄さん(76)@愛媛・宇和島

 江戸時代に先祖がこの白井谷(愛媛県宇和島市吉田町)に木を植えたのが、愛媛のミカンの始まりです。先の戦争で父が戦死し、私は小学生の頃から山の畑で農業に従事してきました。

 豪雨の時は、長年の無理が出たのか、ひざに人工関節を入れて入院中でした。病院から戻り、地区や畑を見て言葉が出なかった。農地の1割を失い、ミカンを運ぶモノレールも壊れました。傾斜地での重労働には欠かせず、高齢の身にはつらい。

 ミカンの木は10年かけて育てる。そんな畑が、あちこちで崩れたのです。廃業する農家も出るかもしれない。私もボランティアの助けがなければ、農業を続けられなかった。

 先祖が植えた「原木」は無事でした。「もう少しがんばれ」と先祖たちが言っているのかもしれません。自然を相手に何もかもうまくいった年なんて、ほとんどなかった。これまでの苦労を思えば、豪雨なんかに負けられないと自分を奮い立たせています。(波多野陽)