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 明治元年に清水港で停泊していた旧江戸幕府の軍艦咸臨丸(かんりんまる)が、新政府軍の軍艦から攻撃を受けた「咸臨丸事件」から、18日で150年を迎える。事件後、清水の俠客(きょうかく)・清水次郎長(1820~1893)は、犠牲になった咸臨丸の乗組員の遺体を新政府のお触れに反して埋葬し、「壮士墓」として残したという逸話が残る。17日には咸臨丸殉難者の供養祭や、次郎長に関する講演がある。

 1868年4月、戊辰戦争で敗れた幕府軍が江戸城を開城。8月に幕府海軍奉行の榎本武揚が咸臨丸を含む軍艦8隻を引き連れて脱走したものの、房総沖で暴風雨に遭い、散り散りになった。咸臨丸は修理のために清水港に停泊中だった9月18日、新政府軍の攻撃を受けた。

 主催の「次郎長翁を知る会」(山田倢司(しょうじ)会長)によると、攻撃で幕府軍の20人余りが死亡したとされる。港内には犠牲者の遺体が漂っていたが、新政府の「賊軍に加担する者は厳罰に処す」とのお触れがあり、遺体は放置されたままだった。

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