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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)で最初のロケットが打ち上げられてから、9月17日で50年を迎えた。このほど打ち上げが延期されたH2Bロケットを発射台に運んだ柳田博文さん(60)は、発射地点にかつてあった集落の出身。節目の年、「何とか無事に」と祈る気持ちで次の発射を待つ。

 サトウキビ畑が広がる大崎集落には、13世帯約50人が暮らしていた。1960年代、ロケット発射基地の建設話が持ち上がり、住民は関西や種子島の別の集落に移った。柳田さん一家は隣の集落に引っ越し、父親は漁師をやめてセンターの専属運転手に。見慣れた山が重機でみるみるうちに削られる様子を覚えている。

 1968年9月17日、第1号のロケットが打ち上がるのを、遊んでいた砂浜からぼんやり眺めた。両手で抱えられるほど小さな気象観測用SBロケットだ。以来、集落があった場所から次々空へ上がるロケットを見てきた。

 中学校では打ち上げの際に授業が中断され、友人と校庭から眺めた。バリバリという轟音(ごうおん)で窓が震え、白い噴煙が空にのぼる。「すごい。どうやって飛ぶんだろう」と不思議だった。

 高校で島を離れ、関東の会社に就職。体が弱った父のそばにいようと20代で島に戻ると、発射基地は大きくなり、打ち上げを心待ちにする島民が多くなっていた。自身も43歳でロケットの整備・保全を請け負う今の会社に就職した。

 警備員だった2003年、H2A6号機が打ち上げに失敗し、遠隔操作で空中爆破された。繰り返しニュースで流れ、落ち込む周囲の人々。「宇宙技術の最先端に自分もいる。ロケットの打ち上げは絶対に失敗できないんだ」と思った。

 その後、ロケットを組み立て棟から発射地点に移す際に機体の温度や湿度を保つ空調車の運転を任された。500メートルを30分かけて運転するたび、15年前の打ち上げ失敗を思い出す。

 運び終えると帰宅し、テレビ中継のカウントダウンを聞きながら、台所の窓に顔を押しつけて発射を確認する。

 今回、打ち上げ延期となったH2Bロケットを含め、これまで数十基を運んだ先は、生まれ育った集落のあった場所だ。「空に飛び立つロケットを見ると、故郷を誇らしく思う」

 11月、南種子町がロケット発射50年を記念し、大崎集落の元住民を集めた交流会を予定している。「懐かしい顔に会える。ロケットの魅力、ふるさとの誇りを話してみたい」(加藤美帆)