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カイシャで生きる 第8話

 社会に出るのが他人よりずっと遅れたとしても、挽回(ばんかい)のチャンスは巡ってくる。

 不動産関連の上場企業で監査役を務める阿部慎介さん(70)は、37歳になるまでまともに就職しなかった。

 戦後のベビーブームのさなか、1948年に新潟県西川町(現在は新潟市)に生まれた。いわゆる「団塊の世代」だ。

 成績は良く、小学4年生から高校2年までずっとクラス委員長だった。戦争帰りの父の仕事がうまく行かず、母と姉が働いて一家の生活を支えた。長男であり、一家の期待を背負い、東京の大学進学をめざした阿部さんだが、迷いや悩みを抱え、3年浪人した。

 学費の安さを理由に選んだ中央大学法学部では、学生運動もほどほどに家庭教師のバイトで食いつないだ。

どうせ30歳まで生きられない

 「卒業したらちゃんと働いて実家に仕送りしよう」。そう思っていたのに、4年生で最初に受けた地方の放送局の就職試験に落ち、働く自信を失った。秋になると心臓病の発作に襲われるようになった。薬を手放せず、体調のすぐれない日が続いた。自分は体力も気力も失っていくのに、最近までゲバ棒を振り回していた友人が次々と大企業の内定をもらっていった。反発を覚えた。

 大学を卒業した25歳から29歳ごろまで、千葉県市川市のアパートで一人、療養生活を送った。

 「どうせ30歳まで生きられないだろう」

 少し風が吹くだけで体が飛ばされそうに思えるぐらい、自分の存在感がないように思えた。

 体調が回復し始めた29歳の時、塾の講師になった。子どもたちと接するのは楽しかったが、学生時代に知り合った妻と結婚した直後にそれも辞めてしまった。妻が働き、阿部さんは司法試験の合格をめざし、31歳で再び浪人生活に入った。

 1日の大半は法律の本を読み、ときに空想にふけった。焦りはなかった。晴れた日の夜は、いつもアパートの窓から星を眺めた。

働いてくれない?

 でも司法試験には落ち続けた。気休めに行政書士や簿記、宅地建物取引主任者の資格を取ったが、仕事をする気にはなれない。社会に出るのが怖かった。

 転機は85年、37歳で訪れた…

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