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 静岡市清水区出身の漫画家、さくらももこさんが、53歳の若さで亡くなってから1カ月半。さくらさんは自伝的な「ちびまる子ちゃん」だけでなく、エッセーや詩集なども手がけ、故郷を描写してきた。清水の小学生は、どうやって国民的な作家となったのか。彼女の言葉をたどりながら、その源泉を探った。

 「授業中、私はいつでも自己流に過ごしていた」

 1997年出版のエッセー「まる子だった」の冒頭の一文だ。さくらさんの母校は、清水区追分2丁目にある清水入江小学校。「まる子」と同じ3年4組がある西校舎は、築50年以上が経つ。木製の引き戸に、木の板が敷き詰められた床。さくらさんが通った70年代から、今もほとんど変わっていない。

 朝寝坊で食べるのが遅く、漫画が好きだったという。「まる子だった」や、2001年の「ツチケンモモコラーゲン」によると、授業中は「先生の話もみんなの意見も何もきいていない」。窓の外を眺めて「富士山が爆発したら、一体どうなるんだろう」「マンガ家になったらどういう生活を送っているのかな」と空想を広げていたという。

 記者も、窓から外を見た。校庭…

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