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 乳がん患者の全国組織「あけぼの会」が創立40周年を迎え、14日に東京都内で記念大会を開く。創立時から会長を務め、発信するがん患者の草分け的な存在でもあったワット隆子さん(78)が今回の大会で会長を辞める。がん患者が支えあうために活動してきた40年の歴史を振り返ってもらった。

 ――1978年にあけぼの会を立ち上げましたが、当時は今とがん患者を取り巻く状況は大きく違ったのでは。

 そうですね。当時はがんの告知なんて考えられないことでした。乳がん患者は何も知らされないまま、乳房の切除手術を受け、その後も何も知らされませんでした。何となく、自分はがんではないかと感じて不安になっても、医師に病名さえ知らされていないので、聞きようもないのです。暗いトンネルの中でさまよい歩くような気持ちの患者さんが多かったのではないかと思います。

 ――ワットさんご自身は乳がんの告知を受けられたのですか。

 夫の仕事の都合で1971年から5年間、米国で暮らしていたことが大きく影響しました。2人目の出産を控えた病院で、30代で乳がん検診を受けるのは当たり前だと知って驚きました。日本では聞いたことのない話でした。そのため、帰国後も気をつけているうちに、自分で胸のしこりに気づいた。医師がほぼ良性というのも信じませんでした。調べたところ、悪性だと判明。手術を受け、左の乳房を切除しました。

 ――その経験があけぼの会の設立につながった。

 私自身も再発の不安にとてもおびえました。ただ、米国の経験から、がん患者という自覚を早くから持っていたことで、病名さえ知らされないままだった方々と異なり、仲間を求めて乳がん体験者の会をつくろうという牽引(けんいん)役になれたのでしょう。最初は十数人でしたが、新聞などで珍しい取り組みとして報道され、最初の4カ月で全国各地から400人が集まりました。一時は会員も4千人を超えました。

 ――この40年で患者会は変わりましたか?

 インターネットでさまざまな情報が得られるようになり、加入する患者の数も減りました。一方で、告知主義が進み、治療の選択肢を患者が自主的に選べるようになりましたが、逆にそれだけ患者が自分で学ばなければならなくなりました。そうしたことについていけない人をどうするか課題はまだまだ残ります。患者は医療関係者が解消できないさまざまな不安や疑問を抱えています。やはり、がんを体験したもの同士が直接語り合わないとわかりあえない部分も多くあります。そうした場をつくるうえでも、患者会の意義はまだまだ続くと思っています。

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 あけぼの会は10月14日(日)に、創立40周年記念大会を東京都内の「有楽町朝日ホール」で開催する。正午から午後4時まで。無料。当日は岩田広治・愛知県がんセンター中央病院副院長や勝俣範之・日本医科大学武蔵小杉病院教授らの講演などがある。

 問い合わせは、あけぼの会事務局(電話03-3792-1204 FAX03-3792-1533)へ。メールはakebonoweb@m9.dion.ne.jp

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>

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(服部尚)

服部尚

服部尚(はっとり・ひさし) 朝日新聞記者

1991年入社。福井支局をふり出しに、東京や大阪の科学医療部で長く勤務。原発、エネルギー、環境、医療、医学分野を担当。東日本大震災時は科学医療部デスク。編集委員を経て、現在は科学医療部記者。