拡大する写真・図版 記者会見を終え、席を立つ中日・岩瀬仁紀投手=2018年10月2日午後、ナゴヤドーム、戸村登撮影

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 プロ野球・中日の岩瀬仁紀投手(43)が2日、ナゴヤドームで会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明した。前人未到の1千試合登板を果たしたベテランは「1千試合は僕の中で通過点という思いがあったけれど、今年の成績が去年よりよくない。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないので引退しようと決意した」と語った。

 愛知県出身で地元の西尾東高、愛知大、NTT東海を経てドラフト2位で中日入り。入団した1999年から15年連続で50試合以上に登板するなど救援陣の柱として活躍し、最優秀中継ぎ投手を3度、最多セーブを5度獲得した。

 現役最年長ながら今季はここまで47試合に登板し、2勝3セーブ、防御率4・67。通算1001試合登板、407セーブは歴代最多。「調子が悪いときでも応援してくれたファンの皆さんに本当に感謝しています」と話した。

     ◇

「15年続けて50戦以上登板は誇り」

 中日・岩瀬の引退会見の主な受け答えは次の通り。

 ――現役を退くことを決めたのはいつですか。

 「正直、いつかは覚えていないんです。(森)監督から『どうすんだ?』と言われて、今年で引退しますと言って。皆さんもご存じの通り1千試合(登板)もあったので、それまではしっかり戦力としてやり切りたいという思いがあり、発表が今日に至った」

 ――記録を達成すれば、ユニホームを脱ぐことを決めていたのですか。

 「1千試合は僕の中では通過点という思いがあったんですけど……。契約のときに『去年の(成績の)数字より悪くなるようでしたら引退する』と言ったものですから。今年の成績が、やっぱり去年より良くないので、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないので引退すると決意しました」

 ――現役を退く目安にしていた数字とは何ですか。

 「防御率というのは、投手にとってすごく大事だと思っています。勝ちゲームで投げられる投手でありたいと言う気持ちがあったので、そういうとこも含めて、ですかね」

 ――やり切ったという思いですか? やり残したという感情がありますか。

 「2年前に一度、引退しようと思ったことがあって。それから去年、今年とやってきて、野球に対する心残りはないですね」

 ――誇りに思う数字は何ですか。

 「やっぱり15年続けて50試合以上投げられたというのが、自分にとっては一番の誇りだと思っています」

 ――数々のタイトルの中で印象に残るものは?

 「タイトルよりも優勝したときの、あの歓喜の輪にいることの方が一番うれしかったですね」

 ――日本シリーズも含めて、いつのシーンが一番思い出に残っていますか。

「パーフェクトリレーが一番印象に」

「やっぱり一番印象に残っているのは、2007年の日本一ですかね」

 ――(八回まで完全試合だった山井から引き継いだ)パーフェクトリレーだったから? それとも初めての日本一だったからですか。

 「両方ですよね。まさか、ああいう試合になるとは思いもしませんでしたし。今となっては、すごい試合だったなと思います」

 ――6人の監督の下でプレーしました。最初の監督だった星野仙一さんが亡くなった年に引退することに感慨がありますか。

 「そうならないように頑張ろうとは思っていたんですけど、こういう形になって……。『よくやった』と言ってくれているのか、『もう少し頑張れ』と言っていただいているのかは分からないですけど、ここまで出来たことはすごくうれしく思います」

 ――これまでお世話になった指導者から、どんな言葉をもらいましたか?

 「印象に残っているといえば、ルーキーの開幕戦のときに、(星野)監督が『きょうはオレのミスをみんなでカバーしてくれてありがとう』と。そのミスというのが(失点して1死も取れぬまま降板した)僕を指しているというのが心にありますね」

 ――6年連続Bクラスが確定した中でチームを去ることについては。

 「今年絶対にAクラスに入るという気持ちでやっていましたし、その可能性は十分あったと思うんですが、やっぱり投手陣があまり良くなかった。その部分に関しても責任を感じています」

来年以降の予定「現時点では…」

 ――今後、来年以降は何をしていきますか。

 「現時点では、まだ何も決まっていないので、じっくり考えたいと思います」

 ――甲子園で活躍した野球エリートではない存在で、ここまでの大記録を成し遂げました。子どもたちにメッセージを。

 「やり続けている以上、可能性はある。エリートではないですけど、雑草魂でやっていてもプロに入って活躍できるんだという。そういう思いはあります」

 ――チームの後輩たちに対しては?

 「ドラゴンズというのはこんなチームじゃないと思っている。優勝争いができるチームだと、今年やってて改めて思いましたし、そのためには選手個々の意識を改革していかないといけないと思った」

 ――自分の何が優れていたからこの数字を残せたと思いますか。

 「自分でいうのも何なのですが、やはりケガがあまりなかったところが強みだったのかなと思います」