拡大する写真・図版豊洲市場で行われたマグロの初セリ=2018年10月11日午前5時42分、東京都江東区、諫山卓弥撮影

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「日に万両の落ちどころ」

 東京都中央卸売市場の築地市場が、豊洲市場に移った。

 「魚河岸」は、江戸時代の初期に日本橋で生まれた。日本橋川の河岸に置かれたことから、「河岸」「魚河岸」と呼ばれた。

 江戸幕府は、漁師たちに無料で魚介を納めさせた。その代わり日本橋川に魚市場を開いて、残った魚介を江戸市民に売ることを許した。これが、魚河岸の始まりだ。

 いきなり余談だが、のちに魚介の価値が上がっていくと、いまでいう仲卸たちは、無料での納入を渋るようになった。幕府は代金を支払うことになるのだが、「御用買い」といい、市価の10分の1程度で買いたたいていたらしい。そこで、仲卸たちは上質の魚介を店の奥に隠す――といったこともあったようだ。

 話を戻そう。江戸時代、日本橋の魚河岸は、

 《日に千両の落ちどころ》

 と評された。

 様々な換算方法があるが、かけそば1杯の値段で考えると、1千両は1億~1億5千万円程度だろうか。2017年、築地市場では水産物だけで1日に17億円余が動いた。いまや「日に千両」どころか、「日に万両の落ちどころ」。その水産物の取引量は「世界最大級」に成長した。(抜井 規泰)

拡大する写真・図版1976年の築地市場。魚を入れる容器は木製や発泡スチロールなど様々だった

つねに「時代の要請」

 魚河岸の移転について、振り返ってみよう。

 江戸時代の初期から日本橋に置かれ続けた魚河岸は、1935(昭和10)年、築地に移転した。ただ、その30年以上前から、魚河岸の移転は議論され続けていた。

 当時の朝日新聞に、おもしろい記事を見つけた。一部、読みやすく書き直して転載する。

 《日本橋魚河岸の移転問題につ…

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