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 宮崎県で六つの自動車教習所を運営する「宮崎梅田学園」の硬式野球チームが、11月に大阪市で開かれる社会人野球日本選手権に初出場する。予選を戦った選手たちの胸には、交通事故でプロ野球選手になる夢を絶たれた亡き少年への誓いがあった。

 2002年12月10日。宮崎県国富町立八代(やつしろ)中1年だった笹森郁也(ふみや)君(当時13)は午後6時半ごろ、自転車を押しながら友人と帰宅中、上り坂のカーブで前から来た軽トラックにはねられ、翌日死亡した。野球部の練習後の出来事だった。

 梅田條尾(じょうび)社長(67)が事故を知ったのは3年後。元高校球児で、「野球を通じて交通安全の啓発ができないか」と社会人野球チームを結成しようと考えていたころだった。事故の4カ月前、交通安全キャンペーンの一環で梅田学園が主催した野球大会に郁也君が出場していたこともわかった。

 「郁也君に背番号を贈りたい」。梅田社長が願い出ると、両親は「プロ野球選手をめざしていた郁也もきっと喜ぶ。郁也の生きた証しにもなる」と快諾した。

 06年2月、チームができると、郁也君が大会で付けていた背番号「5」を永久欠番にした。ユニホームの背中に「FUMIYA」、袖に「交通安全」、左胸の位置に「夢」の文字を入れ、野球を通じて事故を減らそうと誓った。

 ユニホームは、選手が当番制で管理し、練習と試合の際には必ずベンチに飾ってきた。中武亮主将(30)は「野球をしたくてもできない郁也君の思いを選手全員が背負っている」。

 選手24人は自動車教習所の教官や、教官をめざす人たち。午前に練習、午後は自動車学校で働く。専用の練習場はなく、河川敷で練習したり、受講生の多い繁忙期の練習は3日に1度だったり。恵まれた環境ではないが、仕事後の自主練習でチーム力を底上げしてきた。

 9月11日。九州地区予選の第2代表決定戦で、14回目の出場を狙った強豪JR九州に逆転勝ち。創部13年目で悲願の日本選手権出場を決めた。胴上げをする選手たちの中心には郁也君のユニホームがあった。梅田社長は「郁也君を全国大会に連れて行くことは、創部から苦楽をともにしてくれたお返しになる」と喜ぶ。

 梅田学園は京セラドームで11月4日、2大会ぶり12回目出場のJFE西日本(広島)と対戦する。

 「全国の舞台だから、多くの人に交通安全を訴えられる」(梅田社長)と、スタンドに交通安全のメッセージを伝える横断幕(縦1・8メートル、横15メートル)を掲げる予定。郁也君のユニホームはベンチ入りし、背番号5が入った同じデザインのユニホーム型応援幕(縦横約4メートル)をスタンドに飾るつもりだ。

 宮崎市出身の古市賢助投手(25)は「郁也君は大事なチームの一員。京セラドームでも点が入る時の盛り上がりを一緒に感じたい」と試合を心待ちにしている。郁也君の父義幸さん(56)は「郁也は甲子園出場も夢見たでしょう。全国大会に連れて行ってくれることは感動しかない」と話し、初戦は郁也君の写真を持って応援に駆けつけるつもりだ。(高橋健人)

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