日本と韓国は8日、両国関係の転機となったと評価された1998年の小渕恵三首相と金大中(キムデジュン)大統領による「日韓パートナーシップ宣言」から20年を迎えた。両国は節目を利用して関係を強化する戦略も描いていたが、自衛艦旗(旭日〈きょくじつ〉旗)をめぐる葛藤が起きた。宣言の未来志向の精神が生かされなかったのは、なぜなのか。
「2人の決断を再確認し、日韓(関係)をしっかり前向きに進めていきたい」。河野太郎外相は5日昼に行った記者会見で、宣言についてこう語った。
ソウルで1日に開かれた記念式典では、韓国の李洛淵(イナギョン)首相が「金大中氏のバランス感覚と、小渕氏の配慮が最強の両国関係をつくった」と振り返った。日韓議員連盟会長の額賀福志郎元財務相ら約200人の参加者からは、大きな拍手が起きた。
98年10月の金氏の訪日にあわせて出された宣言は、小渕氏が韓国国民に植民地支配のおわびを初めて表明。金氏は当時の韓国の常識を破り、日本の戦後の歩みを高く評価した。歴史認識問題に区切りをつけ、未来志向の関係に転換する契機となる合意と評価された。関係改善の機運は2002年サッカーワールドカップの日韓共催や韓流ブームにつながったとされる。
水差した旭日旗問題
河野氏が宣言を評価した直後、状況が暗転したことが、日韓の20年間を象徴しているようだった。岩屋毅防衛相が5日夕、自衛艦旗の掲揚をめぐる摩擦を受け、韓国で行われる国際観艦式への不参加を表明した。岩屋氏は「先方の意向はよく分からないところはあるが、非常に残念だ」と語った。
文在寅(ムンジェイン)政権の外交アドバイザー、梁起豪・聖公会大教授(日本政治)によると、旭日旗は2000年代後半から、サッカーの国際試合で日本側サポーターが使ったことで、国民感情を刺激する存在になった。梁氏は「韓国側には日本は十分に過去を反省していないとの疑念がある。いったん火がつけば政府は世論を抑えられない」と語る。日本側からも、政治家らが韓国の世論を刺激するような言動を行い、関係が悪化する悪循環を繰り返してきた。
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