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 大阪府藤井寺市の唐櫃山(からとやま)古墳(5世紀後半、国史跡)から出土した家形石棺(いえがたせっかん)(全長約2・5メートル)が、大阪狭山市の府立狭山池博物館で公開されている。開催中の特別展「王者のひつぎ―狭山池に運ばれた古墳石棺」の会場で展示され、熊本県阿蘇山の凝灰岩で造られた貴重な石棺を近くで見ることができる。

 唐櫃山古墳は、近鉄南大阪線土師ノ里(はじのさと)駅の北側にある。通常の前方後円墳よりも前方部が短い「帆立て貝形」の古墳で、隣接する市野山(いちのやま)古墳(允恭(いんぎょう)天皇陵、全長約230メートル)の陪塚(ばいづか)(大きな墓のそばにある小さな墓)とされる。市野山古墳の被葬者の親族や家臣が葬られたとみられる。

 だが、1955年に府道の敷設工事で墳丘の一部が破壊されることになり、発掘調査を実施。5世紀後半の巨大な家形石棺が出土した。残った墳丘部分と石棺は個人宅の敷地内で保存されてきたが、2014年度に藤井寺市が買い取って保存することになった。石棺は屋外で保存されてきたため劣化が進み、朝日新聞文化財団の助成で修理され、保存処理も施された。博物館の学芸員、西川寿勝(としかつ)さん(53)が特別展の開催にあたり、唐櫃山古墳の石棺の展示を思いつき、藤井寺市教委と相談して実現した。

 国内最古のため池とされる狭山池は、堤の内側(取水部)と外側(放水部)から計20基以上の石棺がみつかったことでも知られる。「狭山池石棺群」と呼ばれ、大半が古墳内部に設置された大きな家形石棺で、兵庫県高砂市などの加古川流域でとれる竜山石(たつやまいし)で造られたものが多い。

 なぜ、狭山池に石棺があったのか。西川さんによれば、飛鳥時代に造営された狭山池は、当初は木製の水路(木樋(もくひ))で水をコントロールしていた。鎌倉時代に池が改修された際、劣化した木樋の代わりとして、新たに一部を石樋(石造りの水路)に改造したとみられる。いずれも周辺の古墳から掘り出された石棺を運び入れた可能性が高い。

 西川さんは「狭山池石棺群は、5~7世紀に造営された陵墓などから掘り出されたものが多いと考えています。特別展では、石棺の出土地の候補となる陵墓や被葬者についても迫っています」と話す。

 特別展は11月25日まで。入場無料。午前10時~午後5時。毎週月曜日休館。学芸員による展示解説は、毎週日曜日の午後1時から30分程度。11月4日午後2時からは、西川さんと塚口義信・堺女子短期大学名誉学長による講演会がある。問い合わせは博物館(072・367・8891)へ。(塚本和人)