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 1964年東京五輪といえば?

 当時を知る多くの人の記憶に残っているのが、「ブルーインパルスが空に描いた五輪マーク」だ。日本中がわいた国立競技場の開会式から、10日でちょうど54年。あの時、違う角度から「五つの輪」を見つめた人たちが、2020年大会でも何かを残そうと、それぞれの道で邁進(まいしん)している。

指導者不在、我流で練習

 64年10月10日。前日までの冷たい雨から一転、東京は秋晴れに恵まれた。

 7万2千人の観客が詰めかけた開会式。選手団の中に、24歳だった重量挙げフェザー級の三宅義信(78)はいた。式の終盤、航空自衛隊の飛行チーム「ブルーインパルス」が煙で五輪マークを描いた。自衛隊所属の三宅は誇らしい気持ちで、青空を見つめた。

 2日後の12日が試合となる三宅には、日本選手金メダル1号の期待がかかっていた。前回の60年ローマ大会が銀。「金は自分の使命」。そう誓っていた。

 ローマ大会後、宮本武蔵の「鍛錬は千日の行、勝負は一瞬の行」になぞらえ、4年の月日を「鍛錬1460日の行」と定めた。「あらゆる不安」を消すため、指の第1関節まで鍛えた。食事はカロリー計算し、疲労回復に最適な風呂の温度にもこだわった。指導者はおらず、すべての行動を自分で考えた。

 開会式の後、25メートルプー…

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