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 「遺憾」「不徳の致すところ」――。この二つの決まり文句=常套句(じょうとうく)で、おおかたのことがうやむやにされている感のある今日このごろ。秋の臨時国会は始まったが、このもやもやした思いはどうにも晴れそうにない。「生きた言葉」について考えているという哲学者の古田徹也さん、何か打開策、ありませんか?

 ――安倍晋三首相の所信表明演説をどう聞きましたか。

 「気になったのは、『ピンチをチャンスに変える』という常套句の多用です。この言葉、たとえば上司に言われたら不安になりませんか? 現状の厳しさを本当に理解しているのだろうかと」

 「しかも、仮にチャンスに変えられたとしても、試練の中で不確かな可能性が見えたということに過ぎない。そこに賭けるには、相応の根拠と、失敗した場合の備えが必要です。そうした現実の複雑な課題を、なんとなくポジティブな印象の常套句によってうやむやにする。これは、言葉を道具としてのみ扱う典型例だと言えます」

 ――ん? 言葉は道具じゃないんですか。自分の思いや考えを他者に伝える道具、でしょう。

 「もちろん言葉には意思を伝える道具としての働きがあります。でも、それより重要なのは、その意思自体をかたちづくるという働きです。私はいま、こうやってしどろもどろになりながら……質問に答えるべく、しっくりくる言葉を探し、迷い、選んでいます。そうやって初めて自分が何を考えていたのか、何を言いたかったのかがわかり、時に自分でも驚く」

 ――「そうか、私ってこんなことを考えてたんだ!」と。

 「私たちは、迷いながら言葉を紡ぐことで考え、新しい視点を獲得し、新しい可能性を開いていきます。でも安倍さんの言葉には、そのような迷いや逡巡(しゅんじゅん)が見られない。『確固たる信念』と言えば聞こえはよいですが、問いかけてくる相手に対して言葉を尽くし、言葉のやりとりを通して新しい可能性を探る、という姿勢に乏しい。結局は多数決で自分が決めた通りになるのだから、言葉を雑に使っても構わない。出来合いの常套句をそろえて切り抜ければよい。そういう割り切りが見て取れます」

 ――首相は以前「『そもそも』には『基本的に』という意味もある」と答弁し、それは誤りだとわかった。それでも政府は、「そもそも=どだい=基本」というむちゃくちゃな解釈で、発言を正当化する答弁書を閣議決定しました。

 「首相官邸の塀の上には、ハンプティ・ダンプティが座っているのかもしれませんね」

 ――「鏡の国のアリス」で…

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