[PR]

 6月、パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会。2025年国際博覧会(万博)の大阪誘致に向け、スピーチに立った世耕弘成経済産業相は、1970年の大阪万博の思い出を語った。

 少年時代に7回足を運び、科学技術がもたらす未来に思いをはせたという。世耕氏は「私は未来をつくり出すその一人にいつかなりたいと、夢見るようになったのです」。日本への誘致をアピールした。

 日本は「万博大国」だ。国を挙げて開催するBIEの公式万博は、70年の大阪万博から5回開催。戦後での開催では、イタリアやフランスなど他の万博大国と肩を並べる。今回の誘致で日本は、過去の豊富な開催実績を強みとして打ち出している。

 BIEが公式に認める万博は、国際博覧会条約に基づいて2種類ある。大規模で総合的なテーマを扱う「登録博(旧一般博)」と、規模は比較的小さく特定のテーマに絞った「認定博(旧特別博)」だ。

 当時史上最多の約6422万人が訪れた大阪万博は登録博にあたる。5年以上に1回開催し、期間は最大6カ月。会場の広さに制限はない。05年の愛知万博のほか、今回手を挙げた25年万博も登録博だ。

 一方、国内では過去3回、認定博が開かれた。認定博は登録博の間に開催され、現在の期間は最大3カ月。会場の広さは最大25ヘクタール。1985年のつくば科学万博のほか、90年に大阪であった国際花と緑の博覧会(花の万博)、沖縄の本土復帰を記念した75年の沖縄国際海洋博が該当する。70年万博の成功を受け、地域活性化策として各地で開催の動きが広がった。

 さらに日本では80年代ごろから、各地の自治体などが主催する独自の地方博がブームとなった。きっかけは、65億円の黒字を出した神戸ポートアイランド博(81年)。神戸市の人工島・ポートアイランドのお披露目にあわせ、180日間開催。約80ヘクタールの会場に自治体や企業のパビリオンをずらりと並べ、約1610万人が来場した。

 その後、地域振興を狙った自治体がこぞって地方博を開催。全国の主要都市が市制100周年を迎えた88~89年は、横浜博(来場者数約1333万人)や愛知県であった世界デザイン博(同約1518万人)など、2年間で20カ所以上で開かれた。

 風向きが変わったのが、95年の東京都知事選だ。東京都が計画していた「世界都市博」の開催の是非が焦点となり、「(税金の)無駄」などと反対を主張した青島幸男氏が当選。都は開催を断念した。さらに、開催しても赤字を抱えて閉幕する地方博が続き、ブームは徐々に下火となっていった。

 万博に詳しい名古屋学院大学の小林甲一教授(社会政策論)は、万博は70年の大阪開催以降、国民にとって親しみのあるイベントとして定着したと語る。その上で、「あくまで一過性のイベント。何のために開催するのか、将来的に開催効果を生かした地域作りができるのか。開催するなら、意義を改めて問い直す必要がある」と指摘する。(半田尚子)