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 「いても立ってもいられなくなり、メールを送らせていただきました」。医療連載「患者を生きる」で、ひざの靱帯(じんたい)損傷を経験しながら、復帰をめざしてリハビリに励む女子サッカー選手の姿を追った「スポーツ 靱帯損傷」(9月17~21日朝刊掲載)に、元Jリーガーの真中幹夫さん(49)からお便りをいただきました。真中さんも、13年間のプロ生活のなかで、二度の大きなひざのけがを経験したそうです。指導者になってからも、数多くの選手がけがで苦しんでいる姿を見てきたといいます。そんな真中さんが伝えたい思いとは? お話をうかがいました。

人生初の大けが。長男誕生も契約解除に

 1992~2004年のプロ生活のなかで、二度、ひざの前十字靭帯を損傷し、再腱手術を受けました。最初は、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)からブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に移籍した1997年5月のことです。

 川崎フロンターレとのリーグ戦で、私は守備的なMFで出場していました。ロングボールが飛んできて、はずんだボールを相手MFの中西哲生さんと競り合ったときでした。バランスを崩したまま左足で着地し、ひざを大きくひねりました。人生で初めての大きなけがでした。

 実は、けがをする2カ月前、別の試合で左足を蹴られてしまい、1カ月間、休みました。少し不安はあったのですが、テーピングは動きにくくなるので外して川崎戦に臨みました。その結果、ちょっとしたひねりに左ひざが耐えられず、前十字靱帯を損傷していました。

 手術は7月下旬でしたが、この年、チームは経営難で、現場は大幅なリストラがあり、リハビリ中の私も契約解除になってしまいました。長男がうまれたばかりのことで、とてもショックだったことを覚えています。

 次のチームに移籍するためには、「元気にプレーしている姿を見せなければ」と思いました。いま考えれば決してやってはいけないことですが、復帰までは最低半年はかかるけがなのに、リハビリを4カ月に縮め、11月の天皇杯予選に出場しました。でも、それがきっかけで大宮アルディージャへの移籍を勝ち取りました。

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 ひざの前十字靱帯を損傷した場合、一般的には手術から3カ月でジョギングを始め、6カ月から100%の力で練習できる状態になる。再び靱帯を断裂するリスクがあるため、競技に完全復帰するには8カ月近くかけるのがいまの流れとされている。

今度は右ひざ。手術せずリハビリするも……

 2度目は横浜FC時代の2001年7月。湘南ベルマーレ戦のプレー中でした。今度は、右ひざでした。ひざが抜けた感覚がして、「すべてを失った」と思うほどの激痛が体を襲いました。

 おそらく前十字靱帯を相当痛めたのですが、当時は「すぐに手術は必要ない」というドクターの判断で、保存療法で様子を見ることになりました。当時、32歳。年齢的に、手術してゆっくりとリハビリをするような時間はありませんでした。元気な姿を見せ続けることが求められる中で、半年も離脱する選手を誰が雇うでしょうか? 当時はそんな思いでした。

 手術をせずにリハビリに取り組み、ようやくチームに合流できる一歩手前まで来ていたときでした。ボールを追いかけるため、後ろを振り返ったとき、右ひざの関節がはずれた感触がありました。いつ再受傷するのかという「恐怖」との戦いでしたが、やはり右ひざの前十字靱帯は断裂していました。

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 ひざの全十字靱帯を損傷は繰り返しやすいとされる。一度損傷した人のうち、6~8%の人はもう片方の足も含め、再び損傷しているとの報告もある。着地のくせなどが原因のひとつとされる。

これでやめたら後悔する。復帰めざして

 この年は、現役中で一番よいプレーができていました。だからこそすごく悔しかった。「自分はまだできる」。そう思っていたときのけがでした。これでやめたら絶対に後悔すると思い、手術を決めました。妻も「納得のいくようにやればいい」と背中を押してくれました。

 チームメートから、「大変なけがをしたね」と同情されたり、かわいそうと思われたりするのが嫌で、グラウンドへは足が遠のきました。勝負の世界とはいえ、悔しかったです。

 最初の左ひざのときは、半年のリハビリを4カ月に短縮しましたが、相当体には負担がかかっていました。このため、2度目の右ひざでは、慎重にリハビリを始めました。リハビリはつらいですが、自分が決めたことなので妥協はしませんでした。

 リハビリは日常生活で当たり前の動作を一からつくり上げていきます。まずはまっすぐ立つ。これが難しいのです。立つ、歩くといった単純な動作だけでも、「ひざをしっかり伸ばさないと、できないんだ」と、再認識するようになります。

 横浜FCからはいったん契約を切られました。ただ、リハビリのためにクラブの施設を使わせてもらうことはできました。無給の半年間を過ごし、再び横浜FCとの契約を結ぶことになりました。

 当時は日韓ワールドカップのさなかでした。その盛り上がりを伝える新聞紙面の片隅に、「横浜FCがDF真中幹夫(33)と契約した」と小さな記事が載りました。うれしかったですよ。「よーし、こっからだ」と気を引き締めました。

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 一口にリハビリといっても、日常生活を送れるようになるのをめざすのと、第一線の選手としての復帰をめざすのとでは、強度も異なる。連載で紹介した女子サッカー選手は、着地の際の体重のかけ方などを修正するために、1日400回のスクワットを自身に課していたという。

この道は正しいのか? 何度も問いかけた

 2004年に引退しましたが、2度の大きなけがのタイミングで引退しなくてよかったと思っています。

 自分が掲げた目標、夢に向かって、信じた道を歩み続けましたが、「自分が進んでいる道は本当に正しいのだろうか?」と何度も何度も問いかけました。毎日が恐怖と不安で押し潰されそうでした。順風な現役生活を一瞬で揺るがす大きなけがと向き合い続けました。

 引退後は指導者になりましたが、「けがは本当にこわい」ということを教えるのも指導者の役割だと思っています。

 10代、20代というのはまさに技術がぐんぐん伸びる時期です。一方で、とくに10代は成長期で、体に負担がかかる時期でもあります。けがは選手に焦りをもたらします。私は左ひざのとき、半年のリハビリを4カ月に短くしました。指導者を経験した今では、「しっかり治してほしい。これまでのプレーを見ている人はきっといるから」と伝えます。

 指導者になってざっと500人近くの選手とかかわってきました。大きなけがから小さなけがまで、けがで苦しむ選手を何人も見てきました。どれだけ体のケアをしても、防げないけがはあります。けがで希望を失ってほしくない。「いまが良ければいい、試合に出たい」と選手は思いがちですが、休ませるのも指導者の役目です。

医療は進歩している。あきらめないで

 2度目のけがをしたとき、選手としての苦悩と日常の取り組みを知ってもらいたいと思い、日記をホームページ(http://www.geocities.jp/manimessageboard/footballdiarykegahyousi.htm別ウインドウで開きます)に掲載していました。記事を読んでくれたサポーターからたくさんの励ましの言葉をもらい、なんとか現役復帰を果たせたことは、いまも忘れません。

 ファジアーノ岡山で指導者だったときの選手で、現在は横浜FCに所属する田所諒選手は今年の9月にひざの前十字靱帯を損傷しました。岡山に所属する後藤圭太選手もひざの治療中と聞きました。一緒にがんばってきた仲間なので、ショックですが、なんとか復帰に向け、リハビリをがんばってほしいです。

 私が高校生だった1980年代は、ひざをけがしても、手術をしてリハビリで治すという考えはまだ定着していませんでいた。サッカーをあきらめた同級生もいます。いまは医療も進歩しています。きっと治る。あきらめないでほしい。

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まなか・みきお 1969年、茨城県出身。1992年、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団。ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)、大宮アルディージャを経て、99年に横浜FCへ。2004年に引退した。引退後は指導者に。横浜FCコーチ、ファジアーノ岡山コーチ、アルビレックス新潟コーチ、愛媛FCヘッドコーチなどを務めた。

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/(聞き手・後藤一也)