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 会津磐梯山のふもと、福島県磐梯町が「寺院」の整備を続けている。すでに中門、金堂と仏像が完成し、門前町の姿も整いつつある。平安時代に奈良から会津にやってきた高僧を町おこしの核にという、全国でも珍しい試みだ。

 町が取り組むのは、1970年に国史跡指定された慧日寺(えにちじ)跡の復元。平安時代初めに奈良から訪れた僧、徳一(とくいつ)(生没年不詳)が開いた寺だった。徳一は北関東から東北の各地に寺を築き、天台宗の開祖最澄(さいちょう)(767~822)と仏教の教義をめぐって大論争を繰り広げたことで知られる。

 史跡整備として、平安初めの仏堂を模した平屋建て木造の金堂(間口15・9メートル、奥行き9メートル、高さ7・8メートル)を2005年から建設。総事業費は約3億8千万円。少し遅れて中門も約7400万円で造った。

 その後、寄木造(よせぎづくり)の薬師如来坐像(ざぞう)(高さ1・9メートル)を、14年から4年かけて完成させた。東京芸術大学保存修復彫刻研究室が平安の仏像を参考に「復元展示物」として制作、この7月末から一般公開している。

 19年度からは金堂裏側にあった講堂や食堂(じきどう)も整備する方針で、発掘調査にも着手した。昨年からは、門前の民家を古風な農家建築に改修する事業も国交省の補助で進行中だ。「境内」で舞楽公演や燈篭を並べるライトアップ、講演会などが催されるようになった。

 復元は五十嵐源市町長(69)が発案したもので、奈良市の平城宮跡や興福寺、薬師寺など古建築の復元現場を視察し、建築史などの専門家による検討委員会も設けた。「政教分離原則」を意識し、建物は史跡整備、仏像は復元展示物とし、お堂にはさい銭箱も置いていない。五十嵐町長は「磐梯町は1200年前に仏教文化が栄えた。歴史を顧みて現代に生かし、後世に伝えられるような地域振興を進めたい」と話す。(編集委員・小滝ちひろ