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黒川幸子さん(1936年生まれ)

 住宅街の桜並木が満開を迎えていた。黒川幸子(くろかわさちこ)さん(82)の自宅の庭にも白い花が咲き、庭木の緑が春の陽光に映えていた。今年3月末、東京にほど近い千葉県松戸市の黒川さんを訪ねた。黒川さんはここで40年以上暮らす。縁側のそばに座った黒川さんは時折、外に顔を向け、遠くを見つめるようにしながら、73年前の長崎での記憶をたどった。

 1945年8月9日午前。9歳だった黒川さんは、足踏みミシンで洋裁の仕事をする母・勝枝(かつえ)さんから2人の妹を遊ばせてくるように頼まれた。勝枝さんはおにぎりを持たせてくれた。黒川さんは5歳ぐらいだった妹、美沙子(みさこ)さんの手を引き、2歳ぐらいの下の妹、紀子(のりこ)さんをおぶって、長崎市松山町の自宅近くの広場に行くことにした。

 広場に着いてすぐ、遊ぶ間もないうちに空から飛行機の音が聞こえてきた。当時は、空襲警報は解除されていた記憶がある。「今は防空壕(ごう)に入らなくていいんだわ」。頭ではそう思っていたが、なぜか体は近くの壕の中に足を踏み入れていた。稲妻のような青い光が走り、そこで黒川さんの意識は途絶えた。

 壕の中では3回ほど目を覚ました。1度目は壕の外が赤々と燃えていた。2度目はどこからか犬が入ってきた気がする。初めは背中の紀子さんが泣いていたが、そのうち声は聞こえなくなった。3度目に起きた時、壕の入り口に男の人が2人立っているのが見え、「助けてください」と声を上げた。よく見ると、その1人は父、長作(ちょうさく)さんだった。

 原爆の爆心地となった松山町。原爆投下当時に町内にいた人で、黒川さんはただ一人生き残ったとされる。「奇跡とも言えない、なんとも言えない」。そう語る黒川さんの目に涙が浮かんだ。一緒にいた妹2人は亡くなった。勝枝さんはミシンと同じ場所で骨になっていたと聞いた。「まだ踏んでたんじゃないですかね」。自宅にいた次兄の武(たけし)さんも好きだったラジオのそばで骨が見つかったという。「一瞬ですよね」

 9月までの3回の取材で、黒川…

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