東京都三鷹市の加々井裕子(かがいひろこ)さん(62)は、脳出血が原因で口から食べることができない嚥下(えんげ)障害を抱えることになりました。料理が大好きだった加々井さん。「もう一度、食べたい」という一心で続けたリハビリが、約4年を経て実を結びました。
東京都三鷹市の加々井裕子さん(62)は、「あいうえお」の50音が書かれた文字盤に人さし指を一つずつ置いて言葉を紡ぐ。
「わたしにとって、たべるということが、いきるということ、そのものなのです」
2010年8月。長男真義(まさよし)さん(35)が運転する車で長野県に向かう途中、裕子さんは高速道のパーキングエリアでトイレに入った。20分ほどしても、車に戻ってこない。同乗していためいが見に行くと、扉が閉まっている個室が一つだけあった。施設の職員に開けてもらうと、裕子さんが床に倒れていた。
救急搬送された総合病院で、大脳右側の被殻(ひかく)という部分に脳出血を起こしていることがわかった。元々血圧が高く、07年にも脳出血を起こしたことがあった。そのときは症状が比較的軽く、海外旅行に行けるまで回復していた。
しかし、今回は意識がなかなか戻らなかった。医師は脳出血で神経が損傷し、食べ物をのみ込めない状態だと説明した。夫信義(のぶよし)さん(64)が「食べられないままだと命は大丈夫ですか」と聞くと、医師は「胃に直接栄養を送る『胃ろう』を作りましょう」と話した。
拡大する1回目の脳出血を起こす前、自宅近くのレストランで一家で食事をする加々井裕子さん(中央)(2007年ごろ、本人提供)
意識を取り戻したのは約1週間後だった。間もなくして、おなかに小さな穴を開ける「胃ろう」をつくる手術を受けた。左半身のまひに加え、言葉をうまく出せない障害も残った。
一家3人で食卓を囲むのが何より好きだった。食材の産地や料理の方法などを話しながら食事するのが楽しかった。脳出血で倒れて口から食事が出来なくなっても、入所した介護施設で料理の本を眺めながら過ごした。調味料の配合を見て、料理の味を想像した。
「加々井さん、どんなものを食べたい?」。職員に聞かれると、「うなぎがたべたい」「けーきがたべたい」と文字盤を指した。
信義さんは「状況によっては胃ろうを外すことができるかもしれない」という医師の言葉を、心の支えにしていた。「なんとか口から食べさせてあげたい」
食べたりのみ込んだりする摂食嚥下(えんげ)のリハビリに力をいれている施設に裕子さんを移すことにした。
東京都三鷹市の加々井裕子さん(62)は、脳出血の後遺症で口から食べられない摂食嚥下(えんげ)障害を抱えていた。2012年4月、裕子さんは摂食嚥下のリハビリに力を入れている介護老人保健施設「池袋えびすの郷」(東京都豊島区)に入った。
定期的に施設を訪問している東…
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