いまでこそ新聞記者をしていますが、その昔、「原子力ムラ」のど真ん中にいました。しかも、勤務先は東京電力の福島第一原発でした。 3.11――。大津波が来ました。翌日、原発が爆発しました。大切な家族や故郷を失った人たちが数えきれません。歴史に残る大惨事を、私の目線でつづります。

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元東電社員の記者が追った福島第一(上)

 そのとき、私はゆったりとした気味の悪い揺れを感じた。

 2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災の記憶は、東京・霞が関の経済産業省10階にある記者クラブから始まる。

 ソファに腰掛け、午前中に取材した金融取引所の資料を眺めていた。「取引所より、地震被害の取材のほうが先か」。今にして思えば、最初は悠長に構えていた。

 30分後。経産省は、太平洋沿いのほとんどの原発が停止したと発表した。福島の原発を襲う大津波の存在は、知るよしもなかった。

 午後4時50分。省内で緊急対策会議が開かれた。経済産業相の海江田万里が幹部らに「引き続き確認を」と指示した。

 幹部だけに配られた資料があった。親しくしていた局長の手元をのぞこうとすると、さっと裏返された。「せこい」と思った。のちに理由を聞くと、「中身がなくて恥ずかしかった」のだという。地震が起きて数時間の段階では、原発の危機情報は首相官邸で滞っていたらしい。

 会議は短時間で終わった。停電のためエレベーターは使えず、会議があった2階から10階まで階段で戻った。眼下の桜田通りは信号が消え、大渋滞していた。

 1時間後、東京電力福島第一原発が津波で浸水したと知った。

 「まずい」

 1号機の非常用発電機は地下にある。浸水すれば機能しない。

 なぜすぐに思いあたったのか。私は大阪大学で原子力を学んだ後、1994年に東電に就職した。勤務先は福島第一だった。保守点検の見回りの際、この発電機が過去に大きな破損事故を起こしたとベテラン運転員から聞いた。東電を辞め、新聞社に転職して17年たっても、それは覚えていた。

 《第一原発 全電源喪失》

 午後7時3分、政府が緊急事態を宣言した。地下の発電機だけでなく、原子炉を冷やす機能がすべて失われていようとは。

「まさか水素か?」

 東日本大震災の発生から丸一日になろうとしていた。経済産業省の原子力安全・保安院と資源エネルギー庁は1、2時間おきに記者会見を開いていた。

 経産省取材のキャップだった私の大事な仕事の一つに、弁当の手配があった。メールでの注文記録を見ると、経済部、科学医療部、社会部などの計10~20人が省内の取材にあたっていた。

 一睡もしていない。長丁場になりそうなので、午後にいったん帰宅し、着替えを持ってくることにした。後輩から「少し寝てきて下さい」と言われた。

 3月12日の夕方だ。家で歯を磨いていると携帯電話が鳴った。その後輩からだ。「日テレ、見て下さい。地元の警察情報では、爆発音が聞こえたというんです」

 居間のテレビを見た。記者に転職する前に私が働いていた……、というか昨日まで存在していた東京電力福島第一原発1号機の上部が、吹き飛ばされていた。

 タクシーで霞が関の経産省に戻った。会見場には報道関係者のほか、全国の電力会社の社員も交じっていた。情報収集のためだ。

 100人以上はいたであろう会見場の奥に、大阪大学原子力工学科のとき私の隣の研究棟にいた同級生を見つけた。彼は関西電力に就職し、東京支社の勤務だった。近づいて言葉を交わす。

 「なんで爆発が?」「なんでかなあ。まさか水素か?」

 大学の授業に「原子炉化学」という科目があった。教科書の1ページ目とは言わないまでも、イロハのイとして「高温になったジルコニウムと水が反応すると水素が発生する」と学ぶ。ジルコニウムは、核燃料を包む被覆管の主成分だ。

 旧友との会話は小声になった。教科書の中のことが本当に起きているのか。本当にそうなら、炉心は何千度もの高温になっている可能性がある。

 福島第一原発の正門付近で、危険なほどの放射線量が観測され始めていた。

「壁に穴」の正体は

 原発が異常な高温になり、普通はありえない放射性セシウムの放出が確認された。3月12日午後、記者会見で説明にあたった原子力安全・保安院の審議官、中村幸一郎は「炉心溶融(メルトダウン)の可能性がある」と話した。

 中村はこの後、会見のメイン担当から外される。経済産業相の海江田万里の指示だった。東京・内幸町の東京電力の本店に設置された政府との「統合本部」では「メルトダウン」は禁句になった。

 中村「解任」の理由を海江田は「記者とのやり取りがあまりにもおどおどして、国民の不安が増長すると思った」と後に説明している。経産省も首相官邸も、国民がパニックを起こすことに極めて敏感になっていた。

 福島第一原発1号機が12日に、そして14日午前11時すぎに、3号機が爆発した。

 2度目の爆発を知ったのはこの日の昼過ぎだった。記者クラブでの缶詰め状態が続き、近くにある行きつけのサウナで体を休めていた。着替えを取りに帰っていた1号機のときと同じく、私が経産省を離れると爆発情報が入る。悪いジンクスのように思えた。

 第一原発の原子炉建屋は北から南へ、1、2、3、4号機と並ぶ。4号機は震災の前から定期検査で停止していた。

 次に危ないのは2号機か。そう思っていた矢先、4号機について保安院が妙なアナウンスをした。15日の夕方。発表者は別の審議官、西山英彦に代わっていた。

 「4号機の壁に、穴のようなものが開いた」

 翌日、穴の正体が分かった。東電からの提供写真に記者クラブがざわつく。「どこが穴だよ」。そんなささやきが聞こえる。私もそう思った。「吹き飛んでるじゃん」。3号機の原子炉で発生した水素が共同排気塔の配管から4号機に流れ、爆発したのだった。

 事実を正しく伝えない日本政府に、国内外から批判が集まった。

「取扱注意」の撤退情報

 東京電力福島第一原発の4号機も爆発した。3月15日午後6時すぎ、政治部から連絡が来た。「取扱注意」との念押しのうえ、裏が取れれば、とのことだった。

 「今朝、菅直人首相が東電本店に行き、『撤退などありえない』と怒鳴り込んだ」。首相側近からの情報で、菅が東電に乗り込んだのは「昨晩9時、東電社長が海江田万里経済産業相に、『東電社員を全部引き揚げたい』と電話してきた」からだという。

 東電が第一原発から撤退? 経済産業省10階の記者クラブから、大臣室がある11階に上った。フロアの隅から大臣室の出入りを見張る。緊急事態のはずなのに、意外にも静かだった。

 30分ほどして、紺色の防災服を着た海江田が現れた。廊下に出てトイレに入る。すかさず後を追った。「連れション」だ。当時の取材メモには、海江田は「かなり疲れた様子」とある。

 「大臣、こんなところですみませんが、おうかがいしたいことが……」。海江田はちらっと私を見て「忙しいから手短にね」。東電撤退の真偽を聞くと、ゆっくりした口調でつぶやいた。「そんな大げさなもんじゃあないんですよ。大げさなもんじゃあ」

 用を済ませるとハンカチで目をこする。海江田は花粉症だ。「うーん。そんなとこでいいですか。目がかゆくてたまらないや」。そう言い残して大臣室に入った。

 記者クラブに戻って、ふと疑問が湧いた。海江田はなぜ大臣室の専用トイレを使わず、一般職員用に入ったのか。ひょっとすると、大臣室での極度の緊張感に居たたまれなくなったのではないか。

 昨年、別の取材のおりに、海江田に当時のことを聞いた。トイレでのやり取りは覚えていなかったが、かなりの重圧に見舞われていたことは認めた。「福島では原発が暴走し、首都圏では計画停電。犠牲者がどれだけ出るのか、最悪の事態を覚悟していた」

転勤に敵前逃亡の思い

 東日本大震災では原発だけでなく、火力や水力発電所も大きな被害を受け、停止した。

 首都圏は深刻な電力不足に陥った。JRや地下鉄は間引き運転を余儀なくされ、通勤、通学の時間帯には改札外にも人があふれた。工場はフル稼働できず、スーパーもコンビニも節電で薄暗い。

 3月14日、関東の一部で1時間余りの「計画停電」が実施された。翌日、東京電力福島第一原発では3度目の水素爆発が起きた。放射能は首都圏にも広がる。

 3月23日、東京都葛飾区の金町浄水場から、安全基準を超える放射性ヨウ素が検出された。

 「こりゃだめだ」

 経済産業省の記者クラブのテレ…

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