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 約半世紀ぶりとなる大阪万博は実現するのか。政府が誘致を目指す2025年万博の開催地が23日(日本時間24日未明)、パリで決まる。万博を若者らに紹介する冊子を作ったクリエーター、1970年万博がきっかけで夢を見つけた通訳――。万博に関わりを持った人たちは、様々な思いを抱きつつ「運命の日」を迎えた。

 吉田貴紀さん(42)と山根シボルさん(37)はクリエーターで、大阪市でそれぞれ広告制作会社代表を務める。2人は10月、25年万博を特集したフリーペーパーを発行した。

 きっかけは「違和感」だった。開催地決定が近づくにつれて街のあちこちに万博誘致のポスターが貼られるようになったのに、周りの若者らは無関心。吉田さんは誘致に賛成でも反対でもないが、2人で話し合って「まずは万博を知ることが大切では」と市民向けの企画を考え始めた。

 フリーペーパー「はじめて万博」はA3判で24ページ。万博の歴史や25年万博の立候補国の開催内容、クリエーターが考える万博への提案などを、カラフルで斬新なレイアウトに落とし込んだ。市民の賛否の声も盛り込んだ。

 吉田さんは万博記念公園のある大阪府吹田市の出身。子どもの頃から「太陽の塔」がある風景が当たり前だった。70年万博は「建築界の奇才」と言われた故・黒川紀章や美術家の横尾忠則ら当時30代の若者が活躍した祭典でもあり、アート業界でも「70年万博のファンはかなり多い」という。大阪市西成区出身の山根さんもその一人だ。

 それだけに、吉田さんは25年万博の誘致が決まれば「どうせやるなら、いまできる最大限、圧倒的なものを」と語る。山根さんも「もっと若いクリエーターや市民が関われる仕組みをつくって」と訴えた。

 「万博は私の原点です」。70年万博の会場で英語とフランス語の通訳として働いた宮本良子さん(70)=奈良市=はそう話す。

 当時は大学4年生。外国人と接する機会を持ちたいと、学校を休んで香川県から大阪へ。テレビ電話での会場案内や、海外の来賓のエスコートを担当した。「世界を肌で感じることができた」と振り返る。

 大学を卒業し、英語の通訳の道へ。40代から同時通訳を始め、ダライ・ラマ14世の講演会やシンガポールのリー・シェンロン首相が出席の国際会議などで通訳をした。「今の若い人たちにも、何かきっかけを与えてくれる万博にしてほしい」と期待する。

 大阪市西区でバー「エニグマ」を経営する小原慎二さん(58)は、小学4年生の夏に70年万博を訪れた。印象に残るのはソ連館だ。宇宙船が天井からつるされ、真っ赤な色のパビリオンの大胆な造形がいまも忘れられない。「人をわくわくさせるパビリオンを造るのが夢になりました」

 その約10年後、ディスプレーデザイナーになり、90年の国際花と緑の博覧会(花の万博)に出展されるパビリオンのデザインに採用された。「デザイナーとしてこれ以上の仕事はなかった」と断言する。

 70年万博に心動かされたからこそ、展示には思い入れがある。25年万博について、小原さんは「VR(仮想現実)などを使った映像シアターとか、想像できるものはおもしろくない。デジタルな時代で、世の中が便利になった分、とことんアナログの手の込んだ展示だったら見たいですね」と話す。(半田尚子、新田哲史)