大阪府吹田市の市立豊津第一小学校の校庭に、「風災記念碑」と刻まれた大きな石碑がある。昭和9(1934)年9月21日。室戸台風で校舎が倒壊し、女性教員2人が児童をかばって犠牲になった、と記されている。どんな先生だったのか。取材を進めるうちに、一人の先生の遺品が、郷里・山口の博物館に残されていたことが分かった。84年の歳月を経て、被災の実像がよみがえってきた。

室戸台風
1934年9月21日午前5時10分、高知・室戸で世界記録を更新する最低気圧を観測。強風と高潮で京阪神を中心に3千人以上の死者・行方不明者を出した。大阪府では約1900人が死亡し、全小中学校の教室の2割が失われ、児童生徒や教員の計約700人が犠牲となった。
【動画】1934年の室戸台風被害を記録した映像

 碑文によれば、風災記念碑は室戸台風で当時の豊津尋常高等小学校が被災した翌年の35年9月、村人たちによって建てられた。同校では台風で児童51人と教員2人が亡くなっていた。

 大阪府に残されていた資料を調べると、殉職した教員の一人が吉岡藤子さんと分かった。27歳だった。追悼集などをまとめると、台風は授業の始まる午前8時ごろ、阪神間に上陸し、大阪は瞬間最大風速が60メートルを超え、強風で2階建ての木造校舎が倒壊。1階に吉岡さんが担任する1年生の教室があり、がれきの中から子どもの泣き声が聞こえてきた。がれきを取り除くと吉岡さんがうつぶせで絶命しているのがみつかり、その腕に抱えられて女の子5人の命が救われたとされる。

 この被災について調べてきた吹田市立博物館の学芸員、五月女(さおとめ)賢司さん(44)によれば、吉岡さんは山口県厚南(こうなん)村(現宇部市)の農家に生まれた。5人姉妹の長女。11歳で父を亡くし、13歳で京都の紡績工場で女工となる。17歳で岡山県にあった学費無料の女学校に入学し、教員を目指した。消灯後に真っ暗な押し入れの中で、ろうそくの明かりを頼りに勉強した。

夫と死別し、一人娘を抱えながら正教員となった吉岡さん。記者が取材すると、遺品が残されていることが分かりました。被災時のものとみられる着物など、数々の遺品が問いかけるものとは。

 21歳で教員免許を取り、代用…

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