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 「がんの子どもを守る会」は、小児がん患者や家族の相談、支援、治療研究への助成に取り組んできました。今年で設立50年を迎えた、会の理事長を務める山下公輔さん(73)に、参加した経緯やこれまでの取り組み、課題について伺いました。

1945年東京生まれ。2歳半だった長女が急性リンパ性白血病と診断される。清水建設を定年退職した後、2008年から「がんの子どもを守る会」の活動に参加し、11年から理事長。

長女が白血病と診断 定年後、会に参加

 1984年、2歳半だった長女が急性リンパ性白血病と診断されました。現在は9割が治るとされる病気ですが、当時は医師から(治る割合は)「5割」と言われました。治療のおかげで1年後にがん細胞が見つからない「寛解」の状態になり、その後何回も入退院を繰り返した後、いまは元気に暮らしています。長女が10歳のころ、米国に転勤になりました。米国では「難病のきょうだいがいる」とか、自分や家族の病気について、オープンに話しているのが印象的でした。妻はニューヨークの病院でボランティアを経験し、日本に帰ってからも小児がんの関係でボランティアができたらいいなと、「がんの子どもを守る会」の活動に長女とともに入りました。私は典型的な働きバチ。海外出張も多く、活動には関わってきませんでした。ですが定年後に、妻から「そろそろお父さんも手伝わない?」と誘われて参加するようになりました。海外赴任の経験を買われ、小児がんの親の会の国際大会に毎年子どもたち数人と参加し、現在に至るまで活動の報告をしたり意見交換をしたりして交流をしています。2011年に前任の理事長が倒れられ、思いもかけず理事長を引き受けることになりました。

患者、家族の声を届ける

 理事長になったころは、ちょうど12年度からの国の指針「第2期がん対策推進基本計画」の作成が進んでいた時期でした。計画に小児がんの対策が明示的に盛り込まれることがわかっていたので、全国の会員に実施したアンケート結果を資料とし、患者、家族の生の声を国に伝えました。小児がんは大人のがんに比べてずっと数の少ない希少がんですから、個人個人が声をあげることは難しい。それをまとめ、伝えていくことは私たちの役割の一つだと考えています。

 その後、全国15カ所に小児がんの拠点病院が整備されました。今年、小児がんの対策の厚生労働省の検討会のメンバーとして、拠点病院の指定要件の見直しの議論に参加しました。地域ごとに小児がんの診療にあたる病院などでつくるネットワークに、患者・家族への支援を担う自治体が参加することが必要と訴え、自治体担当者の参加を求めることが盛り込まれました。

■治療後も長期的な…

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