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 150年前の冬、戊辰戦争に敗れた旧会津藩士の一部、約1700人は新政府軍として戦った越後・高田藩(新潟県上越市)へ移るよう命じられた。1年半に及ぶ謹慎生活の中で68人が亡くなるが、その墓は「会津墓地」として、地元の人々の手で丁寧に管理されてきた。この秋も会津の歴史研究グループが墓参に訪ねるなど交流が続いている。

 上越市金谷山の中腹にある会津墓地には、高さ40センチほどの墓石が並んでいる。案内板には「近代日本の夜明けにおいて会津藩・高田藩の苦しみが埋め込まれたこの墓地を、秘められた史跡として守っていきたい」と記されている。

 会津藩降伏後、城内にいた人々は猪苗代で、城外で戦った者は塩川(喜多方市)での謹慎を命じられ、1868(明治元)年12月27日、塩川にいた旧藩士は高田に移るよう通告される。

 翌年1月、200キロ以上の冬…

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