天皇陛下は12月23日、85歳の誕生日を迎えます。来年、2019年4月30日に退位しますが、即位以来、皇后さまとともに19回28カ国、皇太子時代からだと通算51カ国の外国訪問を重ねてきました。「国際親善の基は人と人との相互理解」との考えから、各国の指導者だけでなく、市民とも積極的に交流してきました。

 なかには、第2次世界大戦後50年以上たってなお、日本による戦争の被害を訴える人々の心の傷を目の当たりにする旅もありました。過去への姿勢が問われた訪問のうち、1992年の中国、98年の英国、2000年のオランダ訪問を、当時を知る人々の証言から振り返ります。

先代から持ち越された宿題

 天皇の中国訪問は、先代からの宿題だった。

 昭和天皇は訪米を控えた1975年9月26日、米タイム誌のインタビューで「もし日中平和友好条約が締結され、中国を訪問する機会が訪れれば非常にうれしい」と答えている。

 侍従長を長く務めた入江相政氏の日記には、昭和天皇が84年4月20日に「中国へはもし行けたら」と思いを述べた、と記されている。これに対し、当時の中曽根康弘首相は「沖縄がまだの時、中国へおいでになるのもどうか。全(斗煥・韓国)大統領へのご答礼の関係もあるし」と慎重だったという。

 こうして中国訪問は、昭和天皇が亡くなる直前まで切望しながら果たせなかった沖縄訪問とともに、次の代に持ち越された。

 いまの天皇陛下は皇后さまとともに、即位後最初の外国訪問として91年、タイ、マレーシア、インドネシアの東南アジア3カ国を訪問した。それに続いて92年、2回目の外国訪問として中国を訪れることになる。

訪中を「命がけ」で実現させた大使

 「両陛下の訪中は、橋本恕(ひろし)大使が命をかけて実現させた」と、当時駐中国公使だった槙田(まきた)邦彦さん(74)は振り返る。

 当時、天皇訪中には、自民党内の保守派を中心に「天皇の政治利用だ」「謝罪外交ではないか」などとして、強い反対の声があった。

 衆院議員だった石原慎太郎氏は「文芸春秋」92年10月号に「多くの国民の不安」の題で寄稿し、「憲法違反の恐れ」に言及している。「この御訪中の目的が、日本としての最強の切り札を使って従来の日中関係に片をつけ、時代を区分するためというなら、それは明らかに外交の案件であって、『政治』以外のなにものでもなく、憲法に決められている『象徴』としての天皇の規範を逸脱するものであって、天皇をして、陛下が日頃遵守(じゅんしゅ)するといわれている現行憲法に違反する行為をとらしめる恐れがある」

 橋本さんは日本に帰国し、有力…

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