昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。宮内庁御用掛として昭和天皇の作歌の相談役を務めた歌人、岡野弘彦さん(94)は、今回見つかった原稿を「陛下の字ですね」と語り、昭和天皇が「生涯歌と共にあった」と振り返った。

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 昭和天皇は未発表のものも含めると生涯で1万首はお作りになったと思う。ご日常の出来事をこまごまと歌に詠まれ、生涯、歌と共にあった。作風は簡明で天皇たる独特の格調があり、今の日本人の心にも響く。

 私は昭和天皇の直筆を見たことがある。お隠れ(逝去)になる数カ月前、88年秋のこと。徳川義寛・元侍従長がやってきて、昭和天皇が終戦の際の感想として詠まれた「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」を、病床で7~8通りに推敲(すいこう)した紙を持ってきた。「この歌の表現を心ゆくまで整えておきたい」とのことで、今回見つかった宮内庁の罫紙(けいし)のような紙に、直筆で記されていた。

 その中の「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」が「一番よろしいと思います」と言うと、徳川さんは「お上(天皇のこと)もこれで安心なさいます」とほっとして帰られた。

 今回の原稿も陛下の字ですね。見覚えのある歌もある。一つの事柄にいく通りもの歌を詠んだり、丁寧な注釈があることからも、一つひとつの歌を丹念につくられた跡がうかがえて、歌が本当にお好きだったことがわかる。

 ご生前は発表するものが選抜されたが、今となっては全てが貴重な作品。昭和史の核であった方の気持ちが表現されており、誰でも読めるように整理して発表してほしい。

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 〈おかの・ひろひこ〉 94歳。歌人。宮内庁御用掛(1983~2007)として昭和天皇や天皇家の和歌の相談役を担った。