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北村正人さん(1933年生まれ)

 あの家はどこにあるのだろう――。

 北村正人(きたむらまさと)さん(85)=福岡市早良区=は今年9月23日、長崎にいた。73年前の原爆投下の翌日、お世話になった「梅太郎さん」の一家を捜し、お礼を言うためだ。

 実父・榮之助(えいのすけ)さんの兄・才吉(さいきち)さんの養子になった北村さん。まもなくして中国に渡り、北京で才吉さんが亡くなると、養母のシゲさんとともに長崎に引き揚げた。5歳頃だった。12歳で被爆し、シゲさんと実母、そのきょうだいを亡くした。北村さんが梅太郎さん一家に世話になったのは、そんな時だった。

 73年が経ち、町並みはがらりと変わった。

 「竹やぶの中に井戸があった」という記憶を頼りに、道ノ尾駅近くの踏切を西に進み、岩屋中学校の方へ向かった。すると、原爆投下当時4歳だったという女性から長崎工業高校の近くに井戸があったと聞いた。高校に向かう途中、小川にかかった橋を渡ると、近くに竹やぶが見えた。北村さんは橋の欄干に手を置き、しばらく竹やぶを見つめた――。

 養母のシゲさんと2人で長崎市山里町に住んでいた北村さんは1945年、城山国民学校を卒業後、長崎市立商業学校に入学した。授業は入学当初に少し行われただけで、その後は畑を耕していたという。

 8月9日は、爆心地から約7キロ離れた「こしき岩」で陣地構築の穴掘りをしていた。午前中、指導する兵士が「また敵機が1機偵察に来よる」と言った。みんなで空を見上げると、高い高度で飛ぶ飛行機が1機見えた。木が生い茂る山にいたため、すぐに敵機が見えなくなった。「落下傘が一つ落ちよったぞ」と誰かが言うと「あんな高いところから、落下傘が落ちるもんか」と言い合いになった。

 しばらくすると、ものすごい光と爆風が襲ってきた。土を運んでいる人は倒れ、木につかまる人もいた。穴の中にいた北村さんは、無事だった。兵士が被害を確認しに行く間、作業を中断し、弁当を食べて休憩をとった。周囲に燃えかすが飛び、煙が空を覆った。真夏のギラギラした真っ赤な太陽が見えた。

 「浦上の方に、ものすごく大き…

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