【動画】高知県幡多郡が馬の名産地だと紹介するアサヒホームグラフの映像。1941年ごろ公開された
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 馬の産地だった高知県幡多(はた)郡の戦中の映像が、朝日新聞社が子供向けに作製した映像ニュース「アサヒホームグラフ」に残っていた。「馬と親しむ」というタイトルで約2分の白黒の映像だ。

 「昔から馬の産地として知られています」「娘たちはごく小さな時分から馬と一緒に育てられました」などと、幡多郡を紹介するナレーションが流れる。

 映像では若い娘が馬を乗りこなし、川で馬を洗ったりなでたりしながら笑う場面も撮影されている。

 農繁期の手伝いのほか、軍馬の鍛錬も娘たちが担っていると説明が続く。制作のクレジットには「朝日新聞社」、後援には「大政翼賛会宣傳部」とある。映像が撮影された当時は日中戦争の最中とみられる。

 幡多郡は県西南部。映像では所在地を「ヒロミ」と音声のみで紹介しているため、撮影場所ははっきりとわからない。だが現在の幡多郡大月町に弘見という地区があり、訪ねてみた。

記者が訪ねた現在の幡多は?動画でも紹介します。

 大月町史などによると、幡多郡は土佐藩時代から馬の産地で、明治以降も県から馬の生産を奨励された。大正時代には国も奨励し、県西部に国立の種馬所を設置した。大月町弘見地区にも種馬所が設けられ、春になると県中部などから優秀な種馬が送られてきた。育てた馬を競わせる草競馬もさかんに催されたという。

 「満州国」が建国された1932(昭和7)年ごろからは、陸軍が同地区を含む一帯を軍馬の育成地に指定した。戦中期になると軍馬が徴発されるようになったという。

 弘見地区の農業谷計吉さん(84)に映像について聞いた。軍馬の飼育が盛んだったことは覚えていなかった。だが、戦中から終戦直後にかけて家族で農耕馬を飼っていたという。谷さんの祖父は馬の売買を手がけた馬喰(ばくろう)だった。谷さんも子馬を散歩させ、種馬所で気の荒い雄馬にかみつかれたことを覚えている。「他の地域と比べて馬が多くいた」

【動画】幡多農業高校では生徒が馬に親しむ80年前の光景が見られた=森岡みづほ撮影

 戦後しばらくして農耕馬は牛に取って代わられ、馬は姿を消した。その後、機械の登場で牛も消えた。

 一方、現代でも若者が馬に親しんでいる場所が幡多地域にある。県立幡多農業高校だ。2002年の高知国体を機に活動を開始した馬術部は、08年に全日本高校馬術競技大会の団体障害飛越で初優勝した。昨年は2年生が静岡県で開かれた全国大会で3位入賞した。

 高校は女子生徒の数が多く、部員7人のうち5人が女子生徒だ。夏休みや冬休みも交代で馬の世話をしている。当時の映像を見せると、「馬かわいい」「上手や」と歓声があがった。

 アグリサイエンス科2年の和泉早紀さん(17)は「ヘルメットもブーツもつけずに、軽装備で乗りこなしている。自分だったらできない」と話す。幡多郡で馬の飼育が盛んだったことは知らなかったといい、「馬は北海道とかのイメージで、こっちのイメージがないと思う。幡多の馬乗りとして自分もがんばりたい」と笑った。(森岡みづほ)

「1940アーカイブス」順次紹介

 アサヒホームグラフ(当初はアサヒコドモグラフ)は朝日新聞社が1938~43年に制作した子ども向けニュース。映画館などで上映され、フィルムは戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されるなどして米国に渡った。その後返還された32回分が、国立映画アーカイブ(旧・東京国立近代美術館フィルムセンター)に所蔵されている。朝日新聞が数年前から調査・整理を進めてきた。

 朝日新聞では、アーカイブ映像企画「1940アーカイブス~あのころ日本は~」として、記者が現地を訪ね、当時と今の光景を比較しながら紹介します。

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 映像は朝日新聞フォトアーカイブの特集ページ(https://photoarchives.asahi.com/special/?id=20181129121502661208別ウインドウで開きます)でご覧になれます。