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香取慎吾とゆくパラロード

 下半身に障害があり、残された上半身の力を使ってベンチプレスでどれだけ重いバーベルを持ち上げられるかを競うパラパワーリフティング。朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんが挑戦しました。男子54キロ級の西崎哲男選手(41)からコツを教えてもらい、20キロからどんどん重いバーベルを持ち上げていった香取さん。今回も気づきと驚きがありました。

紙面でも
香取慎吾さんのパラパワーリフティング体験は、12月19日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 パラスポーツには、健常者の記録を超える競技がある。足に障害のある選手が上半身の力でバーベルを持ち上げるパラパワーリフティングはその一つだ。

 たとえば西崎さんの階級より1階級重い男子59キロ級の世界記録は211キロ。ほぼ同じルールで競う健常者の記録171キロを上回っている。

 香取さんがまず注目したのも、この点だった。

 ――体の機能の一部が失われているのに、なぜ健常者を超えられるの?

 西崎さんが理由を語る。

 ――僕らは足の感覚がない分、上半身に意識をより集中させやすいという利点がある。パラアスリートは実は強いんです。

 競技は、男女とも10階級の体重別で競い合い、障害によるクラス分けはない。フォームの「美しさ」が重要だ。主審、副審の3人が判定し、2人以上が成功と判断しなければ記録が認められない。

 ――バーベルを胸まで下ろし、バーを胸の前でしっかり止めてから持ち上げる。左右バランスよく上げないとダメなんです。

「気持ちいい!」

 香取さんもベンチプレス台に横になり、20キロから順に挑戦した。西崎さんに肩甲骨で台を押さえること、胸の力をバーに伝えやすいひじの角度を教わった。

 西崎さんがたずねた。

 ――目線をどこに置きましたか?

 香取さんが答える。

 ――天井を見ていました。

 西崎さんがうなずいた。

 ――いいですね。バーベルを見ると、そこに重さを感じてしまう。天井を見ると、「そこまで押すぞ」と、より力を発揮できます。

 香取さんは60キロにも挑戦。左右バランスよくバーベルを持ち上げた。

 ――すごく気持ちがいい!

 西崎さんが言う。

 ――ギリギリで、ちょっと怖いなという重さが上がったときの喜びは何物にも代えがたい。それが競技の面白さです。まだまだ香取さんは重い重りを上げられます。

「社長、ほかの競技も…」

 西崎さんの練習拠点は、所属する乃村工芸社(東京都港区)の大阪事業所内に作られたトレーニング室。東京本社にも練習場が新設された。大会出場は出張とみなし、さらに交通費や宿泊費も会社が支援する。

 香取さんは支援の充実ぶりに驚いた。

 ――パラスポーツに触れるようになって、練習場所や遠征費を工面できずに困っている選手が多いことを知った。でも、こんなステキな環境の中で競技ができている選手がいたんだ。

 ただ、同社でも、当初はパラスポーツへの理解が進まなかったという。体験イベントや有志によるパワーリフティング部発足を通じて、徐々に支援の輪が広がった。今では選手個人だけでなく、大会や競技連盟もサポートし、競技自体の盛り上げを担う。

 集客施設の企画・設計・施工を手がける同社にとって、西崎さんを迎え入れたことにはメリットがあったという。社長の榎本修次さん(67)が振り返る。

 ――互いの能力や価値観を尊重し、認め合うことで新たな気づきが得られた。彼が入社したことで手がける施設の企画やデザインは、体の不自由な人を含めて多様な方々により配慮したものとなっていく。教わることは多いんです。

 香取さんが間髪入れず突っ込む。

 ――社長、ほかのパラ競技もお願いできませんか?

 榎本さんは苦笑いだ。

 ――今すぐ? そういうわけにはいかないけど、20年以降を見据え将来的には考えている。挑戦するのはアスリートも社員も同じ。僕らはその環境を作ってあげないといけない。

 2年後の東京パラリンピックに向けて、西崎さんは雪辱に燃えている。前回リオ大会は3回の試技に失敗し、記録なしに終わった。

 ――試合で涙を流したことなんてなかったのに、あのとき、初めて泣いた。自分と一緒に戦ってくれた人たちの存在があったから。東京は恩返しの場所。力を出し切ったという喜びをみんなと共有したい。

 うなずく香取さん。

 ――強くなれる涙ですね。社内理解が広がり、支援のための一体感が生まれるのはいいこと。選手と企業の理想の関係を見た気がしました。(榊原一生)

     ◇

プロフィール

 西崎哲男(にしざき・てつお) 1977年、奈良県生まれ。23歳の時に交通事故で脊髄(せきずい)を損傷し、車いす生活に。車いす陸上の選手だったが、2011年に引退。東京パラリンピックの開催決定を機にパラパワーリフティング選手に復帰し、16年リオパラリンピック出場を果たした。

 榎本修次(えのもと・しゅうじ) 1951年、東京都生まれ。73年に乃村工芸社に入社。2007年常務取締役、営業戦略本部長などを経て15年から現職。趣味はウォーキングや旅行。同社は岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の復元や東京スカイツリーの演出なども手がける。