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 山あいの村に緑、赤、黄の三色旗が揺れ、歓声が響いた。平成14(2002)年5月24日、大分県中津江村(当時)にサッカーW杯日韓大会の出場国カメルーン代表が到着した。興奮に包まれる村民の中心に、当時の村長、坂本休(やすむ)さん(88)がいた。

 キャンプの成功で「日本一有名な村」とも呼ばれたが、W杯翌年から本格化した合併の議論とは無縁でいられなかった。3200余りあった市町村を1727にまで減らした「平成の大合併」。急速な高齢化と過疎にあえぐ中津江村も平成17(05)年春、日田市に編入された。「大きなうねりの前で、小さなカエルはなすすべもなかった」。村の現在の人口は782人。02年春から4割以上減った。

 「私が村をつぶしたようなものですよ」。最後の村長として幕引きをした坂本さんはそう振り返る。けれど、あのキャンプの遺産も確実にある。村民の誇りと絆、そして地名。同時に編入した近隣二つの村が町に変わる一方、中津江村の名は残された。「自分の地域の名前くらい自分たちで決めたいという村民の思いが、総務省にも伝わったのでしょう」

 カメルーンが合宿地に選ぶ決め手となった上質の芝生グラウンド、練習に集中できる静かな環境、選手を喜ばせたあたたかいもてなし――。思いがけず全国から注目され、村の人たちは無自覚だった地元の強みに気付いた。最大の働き口だった役場を失い、過疎の流れは止まらない。それでも、キャンプで使われたグラウンドは一年を通して青々とした芝を保ち、県内外から絶え間なく利用者が集まってくる。

 「それにね…」と坂本さんは続けた。「(W杯で)村出身の若者が『大分』でなく『中津江村』出身と答えられるようになった。村はいまも生き続けています」(越田省吾)