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 欧州や米国の自動車レースで頂点に挑み、今年から自身が巣立ったレーシングスクール校長として、後進も育てる佐藤琢磨さん。仲間と思いを合わせつつ、壁にもぶつかりながら歩んだ道には、レースに縁のない人にも通じるヒントがあふれています。フォーミュラワン(F1)へのデビュー前から追いかけてきた記者が聞きました。

 ――海外のレースで長く活躍を続け、米国では世界3大レースの一つであるインディアナポリス500マイル(インディ500)で日本人初優勝を果たしました。世界を夢見始めた時を覚えていますか。

 「10歳の時です。父に連れられて行った鈴鹿サーキット。自動車レース最高峰のF1・日本グランプリを見ました。音の迫力や速さがもう、衝撃的で。みんな日本人の中嶋悟さんを応援していましたが、僕はぐんぐん前の車を抜く同僚ドライバーの姿にも目を奪われました。アイルトン・セナ。僕のヒーローになりました」

 「レース大好き少年になり、当時たくさんあったF1専門誌を読みあさりました。『セナはブラジル人で、単身英国に渡り、圧倒的な速さで英国のF3シリーズに勝ち、F1に行ったんだ!』と夢中に。でもあこがれはあっても、当時は自分がどう始めればいいか、わからなかった」

 ――高校では自転車競技を始めました。

 「街のプロサイクルショップを通じて活動していたけれど、3年生で高校総体を目指そうと、部員1人の自転車部をつくったんです。自転車とF1マシンをだぶらせながら、高校、大学で全国制覇しました。弁護士だった父は『走る弁護士なんてどうだ?』と言っていたけど、それは早々に挫折しちゃったな……」

 ――大学2年で大きくハンドルを切り、鈴鹿サーキット・レーシングスクール(SRS)に。モータースポーツの道へ進みました。

 「『チャンスさえあれば、絶対にできる』という若気の至り的な確信は持っていました。そこにSRSの記事が偶然、目に入った。資金やコネがなくても、この扉から世界のレース界へ道がつながる。興奮しました。これだ、と」

 ――ただ世界のトップドライバーは10歳に満たない頃から経験を積むことが多いと聞きます。SRSでは最年長の20歳で初心者でした。苦労はなかったですか。

 「まずスクールに入るのが大変で、崖っぷちでした。一般公募の枠は7人。応募は70人超で、そのほとんどがレース経験者。入校説明会では履歴書による書類審査で合否が決まると知り、質疑応答で『面接をしてほしい』と訴えました。それで急きょ全員が面接を受けることになったんです」

 ――同調圧力や「出る杭は打たれる」という文化が強い日本で、いろんな意味で飛び出ていますね。

 「みんなと一緒というのは苦手…

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