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 戦後間もない京都・西陣に、住民たちが出資してできた診療所があった。創設した医師は、在宅医療の先駆けとして患者の家に足しげく通い、「わらじ医者」と呼ばれた。今年6月に94歳で亡くなった医師をしのび、15日にゆかりの人たちが京都に集まった。

 京都市右京区の医師、早川一光(かずてる)さん。6月2日に自宅で亡くなった。京都府立医科大を卒業し、1950年に住民出資の白峯(しらみね)診療所を創設した。診療所は58年に地域医療を支える堀川病院となり、97年まで院長や理事長などを務めた。

 戦後の混乱期。「自分の体は自分で守る。隣の病気も自分の病気と思え」と地域の環境改善を呼びかけ、住民の中に分け入って、井戸、トイレ、台所の衛生指導に取り組んだ。

 次男の岳人(たけひと)さん(49)は幼いころ、父の往診についていった記憶がある。

 病院から自宅に電話があれば、「わしが行く」と食事中でも患者の家に出向いた。気になる患者がいれば別の往診の帰りに家に立ち寄った。「なんかあったら電話せい。病院よりわしに電話した方が、すぐに行ける」と、自宅の電話番号を書いて渡した。寝室にも電話を置いていたという。

 堀川病院を退いた後も、2003年までは京都府美山町(現南丹市)の美山診療所に勤めた。1987年から今年3月末までは、毎週土曜にKBS京都ラジオの生放送「早川一光のばんざい人間」のパーソナリティーを担当し、健康や医療について語り続けた。

 その早川さんが自ら在宅医療を受けることになったのは2014年のこと。

 胸椎(きょうつい)骨折で入院し、血液のがんの一つ、多発性骨髄腫が見つかった。ずるずると病院にいるのを嫌がり、自分で推奨してきた「家で最期を」を選択した。在宅医療と訪問看護を受けることを決め、かつて一緒に働き、信頼を寄せる医師と看護師にみてもらった。

 岳人さんによると、早川さんは自宅で介護を受ける立場になって初めて、「こんなに苦痛なのか」と感じたという。風呂には入りたい時に入れない。医師の往診は5分くらいで終わってしまう。「患者さんに本当に寄り添うのは難しい」と実感していたという。

 携帯電話を枕元に置き、「夜が怖い」と子どもたちに電話をかけた。ただ、「話を聞いてもらうだけで安心できる。やっぱり寄り添うことが大事」とも語っていたという。

 福島県で働いていた岳人さんは…

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