【動画】アサヒコドモグラフの映像に収められた1940年前後の風景。そこは今…

 東日本大震災で失われた宮城の集落、ダム建設工事で移転した温泉街の祭り――。戦前、朝日新聞社が日本各地で撮影し、風景を映画フィルムに収めたニュース映像が見つかった。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されるなどし、アメリカに渡ったあと、半世紀前に日本に返還され、国の施設で保管されていた。数年前にその存在が確認され、内容の調査が進められていた。

戦後、米国に渡ったフィルム

 映像は朝日新聞社が制作した子ども向けニュース「アサヒコドモグラフ」(後にホームグラフと改称)。昭和初期の1938年~43年にかけ、映画館などで123回分が上映された。米側に渡った後、67年から順次、日本に返還され、国立映画アーカイブ(旧・東京国立近代美術館フィルムセンター)で現在、32回分のフィルムが所蔵されている。1本のフィルムに6~8話のニュース映像が収録され、全体で約200話ある。

湯かけ祭、かつての姿

 例えば、「湯かけ祭」と題した映像には、群馬県の川原湯温泉で、裸で湯を掛け合う男性たちがそのかけ声とともに収められている。湯かけ祭は、八ツ場ダムの建設工事に伴い、2014年を最後にダムの底に沈む予定の温泉街から高台の代替地に会場が移され、今に至る。約80年前の映像は、活気あふれるかつての温泉街の様子を伝えている。

ゾウが防毒マスク

 また、「象君の防空訓練」では、神戸市の動物園で、空襲で毒ガスがまかれたとの想定で、飼育員がゾウに防毒マスクを付けて避難させる訓練を紹介。長い鼻から大きな耳までをマスクで覆ったゾウの姿が強い印象を与える。

トーキー定着、音を意識

 京都造形芸術大学の北小路隆志教授(映画批評)によると、「アサヒコドモグラフ」が始まった1938(昭和13)年は、トーキーと呼ばれる音声付きの映画が日本に定着したころで、コドモグラフでも音を意識した作りになっている。

 「擬音の種明かし」と題した映像には、トーキー映画の波の音や汽車の汽笛を、楽器や特殊な装置を使って再現する様子を披露。「人造の聲(こえ)」と題した話では、慶応大学医学部を訪ねて人工音声発生装置を紹介するなどした。全編がナレーション付きで、ラジオで子ども番組を担当したこともある故・関屋五十二(いそじ)さんが務めた。

人々の営み映り込む

 北小路教授によると、戦前に作られたニュース映像の中で、子ども向けの作品の制作はあまりなく、200話とこれだけ大量に残っている例はないという。「戦争や事件などに比重を置きがちな大人向けのニュースと違い、『コドモグラフ』の映像には人々の表情や周辺の風景など、生活・日常が映り込んでいる。当時を知る材料として興味深い」と話す。

戦前の映像と今の姿、順次公開します

 朝日新聞では、これら200話の作品を、アーカイブ映像企画「1940アーカイブス~あのころ日本は~」として、順次公開。記者が現地を訪ね、当時と今の光景を比較しながら紹介します。(佐藤岳史)