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 大事なことは自分で決め、家族は後で知らされた。1968年にできた水俣病対策市民会議(後の水俣病市民会議)の会長に就く時もそうだった。「目を離すとどこへ飛んでいくかわからない」(家族)。行動力で患者支援運動を引っ張った。

 小学校教員だった63年。市立病院に教え子を見舞い、悪臭が立ちこめる窓のない別室でうめく子らを目にした。このときに「見た者の責任」を背負ったのだと思う。水俣病は公式確認から7年たとうとしていたが、患者救済すら進まないまま、過去の話にされていた。

 患者家族が原因企業チッソを相手に初めて起こした裁判を生活を切り詰めて支え、他の支援者の寝食まで面倒をみた。責任が確定する判決を勝ち取った後も、患者の生涯を保障する年金を盛り込んだ補償を求め、東京のチッソ本社に乗り込んだ。

 「この子たちは生きていかなけ…

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