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 なぜ、沖縄に米軍基地が集中しているのか。1950年代、米国は本土に展開していた地上部隊を撤退させ、その一部を沖縄に移していく。現在の米軍基地固定化の「源流」ともいえる時代だ。当時の岸信介首相と米国の動きを、外交文書から読み解いた。

 岸氏は57年6月、就任後初めて訪米。訪米前、首脳会談に向けたマッカーサー駐日米大使との予備会談で「10年後の沖縄返還」を求めた。72年の沖縄返還の15年前だ。外務省が12月に公開した関連文書からは、岸氏が沖縄をめぐる問題をどう考えていたかの一端がうかがえる。

 訪米前、マッカーサー駐日米大使との会談に用意された資料には、沖縄返還への熱意が記されている。「米国が沖縄住民は本来の日本国民とは異なった特別の種族であるとみているならば、これは重大な誤り」

 首脳会談後、ニューヨークで開いた「言論機関」との懇談では、こう語った。

 「沖縄問題は日本本国における9千万の日本人の問題でもある」

 「両者は切り離すことの出来ない一体関係にある」

 一方、沖縄の米軍基地についてはこう語る。

 「日本国民の大多数は沖縄の戦略的重要性を十分認識している」

 米国が、沖縄を基地の島として使い続けることに積極的に同意することで、領土問題の解決につなげようとの意図がうかがえる。

 外務省も、首脳会談前にまとめた文書「沖縄問題に関する対米方針案」で、返還によって「沖縄住民も同胞として祖国の防衛の念に徹し、基地に積極的協力することが可能となる」と記していた。

 岸氏や外務省は、領土や安全保障の観点から沖縄をとらえていたが、その基地負担に言及した言葉は乏しかった。

     ◇

 日米会談で、沖縄返還要求は明確に拒まれた。一方、成果とされたのが、日本本土に展開する米軍地上部隊の撤退合意だ。

 この時代、米軍は全国各地に駐留し、拡張計画や事件事故への反発を招いていた。57年1月には群馬県の演習場で、薬莢(やっきょう)を拾っていた女性を米兵が射殺する「ジラード事件」が発生。米側は反米感情の高まりを恐れていた。

 57年4月12日付「日米会談に対する米国政府の動向」には、米国務省職員が、ワシントンの日本大使館員に語った言葉が残されている。

 「在日米軍基地に関連して起こっている情勢が沖縄に生ずることは極力避けねばならない」

 沖縄でも53年に始まった「銃剣とブルドーザー」とよばれる土地接収に対し、「島ぐるみ」の抵抗運動がおこる。ただ、米国は経済的な締め付けも絡め、沈静化に成功しつつあった。

 58年、日本の本土から米軍地上部隊は大半が退く。米国は、本土から地上部隊を撤退させて反米感情を抑えると同時に、米軍統治下で制御可能な沖縄に、地上部隊の一部を移す道を選んだ。本土の反米感情を抑えることで、親米岸政権を安定化させる狙いもあった。

 琉球大講師の山本章子さん(日米関係史)は53~60年の米軍資料で部隊配置を調べてきた。米公文書では、富士山麓(さんろく)から沖縄への移駐などが記録され、海兵隊と陸軍の兵力数は56~60年で、本土は約3万5千人減、沖縄は9千人近くの増。その中で見つかっていなかったのが岸氏訪米後の本土から沖縄への移駐を、日本政府が認識していたかどうか。

 今回の公開文書には、米国務省職員が外務省に伝えた内容があった。

 「在日米軍のできる限りの撤収は原則として可能と思う。現在戦闘部隊は2分の1師団のみであるが、沖縄その他へ移駐が可能と思う」

 日本政府の返答は書かれていない。山本さんは「部隊撤退は、政権の安定に好都合な一方、米国の日本防衛義務がない旧安保条約下、本土防衛への不安をもたらした」と指摘。「米国にとっての沖縄は制約なしに基地が使える島だが、日本にとっても、本土防衛の空白を埋める存在に位置づけられていった」と言う。

 岸氏が訪米した57年。このころ沖縄では、辺野古集落の土地が接収され、米軍基地キャンプ・シュワブの建設が始まった。60年後。ここで「新たな基地建設」といわれる普天間飛行場の移設計画が進むことになる。(木村司)

野添文彬・沖縄国際大准教授(国際政治)の話

 今回公開された外交文書からは、軍事的ではなく、政治的な理由で、沖縄に米軍基地が集中していった過程の一端がわかる。岸首相にとって沖縄は、憲法改正のための一段階である領土返還の対象だった。その返還要求によって米国側は警戒感を強めた。返還によって、本土の反基地運動が沖縄にも波及し、沖縄の基地の自由使用が難しくなるかもしれないからだ。1957年の岸訪米は、結果として、沖縄への基地集中と固定化を進めることになった。

 一方、今日にもつながる日本政府の認識の限界や問題点も感じる。沖縄返還を要求しながら、本土から沖縄への米軍移駐を容認するという姿勢には、沖縄で基地負担を背負わされている住民の視点が欠けている。本土のために沖縄が基地負担を負わなければならないという不条理への地元の不満は当時も、今も続いている。