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川口和男さん(1929年生まれ)

 炎は赤だとばかり思っていた。青、黄、オレンジ、緑。その夜、長崎の街は鮮やかな色に染まり、ネオンサインのようにも見えた。

 1945年8月9日。長崎市御船蔵町に住んでいた川口和男(かわぐちかずお)さん(89)は、原爆によって火の海になった街を高台から見下ろしていた。胸ポケットから手帳を取り出し、その景色を描き残さずにはいられなかった。

 川口さんは旧制中学時代から、片手に乗るほどの黒い表紙の手帳を常に持ち歩き、日記をつけたり、スケッチをしたりしていた。紙が手に入りにくい時代。銀行に勤めていた姉からもらった小さな手帳を、大切に使った。万年筆のインクも貴重で、水でうすめて長持ちさせていたという。

 当時から美術が好きで、文字を書くことへの渇望もあった。手帳には、学徒動員先の工場で見た機械や、正月の鏡餅などを描いた。静物画が多いのは「風景を描くとスパイの疑いをかけられるから」と川口さんは話す。

 被爆時は爆心地から約8キロ、動員先である川南工業の香焼島造船所にいた。爆心地の2キロ南にある自宅まで船と徒歩で戻り、家族と再会。母が手をけがした以外、きょうだいたちもみな無事だった。しかし家は全焼していて、畑で野宿をして夜を越すほかなかった。

 燃える街の様子を描いたのは、そんな真夜中だった。暗い中で手元は見えづらく、スケッチはごくシンプルなもの。色も黒しか使えなかったが、「手帳を見れば、あの景色は思い出せます」と川口さんは言う。

 戦後、長崎市役所に勤めながら…

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